三階にある教室から階段を降り、シューズボックスで靴を履き変えた梨花は校舎から急いで飛び出した。だが、そこにはすでによく知っている先客がいた。
優しい風に柔らかな長い髪を揺らしながら立ち尽くす親友の結城美桜の後ろ姿。花壇にいる二人に夕陽が当たり山吹色に光り輝く光景をじっとしたまま眺めている彼女。
その彼女に近づき、
「橘先生、素敵だよね」
と梨花が声をかけたが振り返りもせず、
「……そうだね」
という上の空の答えが美桜から返ってきた。
「先生の隣にいるのは誰なの――彼は」
と梨花からその言葉がつい零れてしまう。
「彼――彼は橘先生のクラスの、かざかみゆうな君」
と美桜が呟いた。
「どういう字を書くの」
「かぜの風、かみさまの神、やさしいの優に、なぎの凪で、風神優凪」
それは自分への答えではなく、彼女自身が自分の心に言い聞かせるために彼の名前をゆっくりと口にしていると梨花には思えた。しかも美しく澄んだ瞳には彼しか映っていない。彼女の想いに梨花はすぐに気づいてしまう。
春の涼やかな風が花壇から二人の女子生徒に素敵な花笑みを届けると同時に二人の花時計のスイッチが入り、運命の物語の歯車はカチッという音をさせて動き始める。
「リカ、もしかして、わたし初めて……」
と言いかけると、
「はい――お待たせ」
と彼女の幼馴染の速見朝陽がその穏やかな情景を大きな声で崩し、美桜のそのあとの言葉をかき消してしまう。
「あれ、リカも俺のこと待っててくれたんだ。じゃあ、三人で仲良く帰ろうか。今日は伝説の何とかペアと一緒に帰れてラッキーだな。やっぱり俺は持ってるよな」
彼のその言葉を無視して、
「じゃあねミオ、バイバイ」
と言って梨花は二人から離れていく。その走り去る梨花の背中を見て舌打ちし、
「冷たいなぁ。でもあいつはそこが魅力なんだよな」
と彼が言うと、
「もう……雰囲気、ぶち壊し」
と美桜がはき捨てるように言った。
「雰囲気って、なんの……おいちょっと待てよ」
それを無視して彼に構わず美桜は歩き出してしまう。足早に追いついた彼は横に並ぶと彼女に、
「どうして、そう冷たいんだよ。他の女子みたいに、かっこいいとか、素敵とか、思わないのか。長い付き合いなんだから俺のトリセツぐらいあるよな……それ読んでるだろ。それにしちゃ扱い悪すぎだし。高校に入ってから俺を無視してるし。俺の良さはお前らには理解できないんだろうけどさ」
と真面目な顔で言った。
「――バァカ、だから相手にされないんだよ」
とやっと美桜が口を開く。
「……ちょっと待てよ。相手にされないって、どういうことだよ」
「もう話しても、無駄だし」
「話ぐらい……しろって。俺とお前の仲なら手ぐらい握ってもいいはずだし、なにもキスしようっていうんじゃないんだからさ」
「バッカじゃないの。私たち別に付き合ってませんから」
「何言ってるんだよ。俺たちずっと一緒だったじゃないか。中学の時から付き合ってるんだろ。えっ……もしかして小学校の時から付き合ってたのか、そうとは知らなかった」