第3章 山心の発展期

【白馬岳】 家出して来た岐阜の人 ~1983年8月(46歳)~

病からの復帰​

私は8年がかりの胃腸病が治って、再び山歩きを始めた。37歳で蝶ヶ岳に9歳の息子と登ってから、半年後に胃を悪くしてしまい、レントゲンや内視鏡の世話になった。以来、胃腸病が8年続いて、その間は山に行けなかったのだ。あのころの自分の写真を見ると痩せこけている。

体重は50キログラムもなかった。それがやっと体調が回復し、去年待望の白馬(しろうま)岳に来られたのだ。去年のコースは、長野の白馬駅から栂池(つがいけ)泊、白馬大池、白馬山頂泊、大雪渓下り、猿倉へ。三日間とも雨だった。

今年はやり直しの気持ちでやって来た。新潟県の平岩駅から蓮華温泉に入り、白馬大池、白馬山頂、杓子岳、鑓(やり)ヶ岳、猿倉とまわってみようと思った。

川越は早朝に出たが、大糸線の平岩駅に下車すると、もう夕方に近かった。蓮華温泉行きのバスが出発するまで、待つこと1時間。駅の待合室で休んでいると、登山姿の人が隣から話しかけてきた。

「どんなコースを予定しているんですか?」

見るとかなりの年配の男性だった。私がコースを話すと、

「それはいい。初めての人でも安心ですよ」

と男は眼鏡の縁を持ち上げた。この人はだいぶ歩いているらしく、冬は毎年下からヘリコプターでスキーごと白馬大池まで運んでもらい、蓮華温泉まで滑って降りて来るのだという。夏もまだ自分が歩いたことのない道を見つけては、次々にコースを変えて歩いているそうだ。

75歳で岐阜の人。家族は危険だからやめろと言うが、内緒で夜中に家出をするように出て来たという。まるで山という愛人に、人目を忍んで会いに来たみたいである。

「今回は蓮華からカモシカ平を通って朝日岳に行きますが、瀬戸川を渡るのが心配なんです。橋が流されていないかどうか。一応ロープは持ってきましたけどね」

私たちが駅のベンチでしばらく話していると、蓮華行きのバスが出るというので立ち上がった。バスの乗客は、結局この人と私の二人だけだった。バスがジグザグの山道を登ってゆくと、しばらくして岐阜の人が私に言った。

「後ろを見てください。良い山でしょう。あの高いのが雨あまかざり飾山ですよ。あの左のほうが日本海、薄く黒く見えるのが佐渡ヶ島です」

「え! 佐渡も見えるんですか」

やがてバスは停留所でもないところに止まった。「休憩です」と女車掌は言いながら、自分から先にバスを降りた。黒いベレー帽をかぶって、小さいカバンを前にぶら下げた20歳くらいの娘さんだ。「ヒワ平」というところだった。運転手は中年男で、帽子を脱いで手に持っている。

「あれが朝日で、あれが雪倉です」

と私に教えてくれた。

「運転手さんもたまには登るんですか?」

「いや、登ったことはねえです」

と答えた。仕事がら、足を痛めたら困るからだという。一息つくと4人は再びバスに乗った。着いた蓮華温泉ロッジは旅館のように立派な山小屋だった。木づくりの浴槽で、透明な湯のなかには、糸くずのような湯花がチラチラといっぱい舞っていた。