アメリカ滞在の最後の日ぐらいは、仕事を忘れて自由な時間を持ってもよいと思った。
五番街のデパートでローズ系の口紅をお土産に買い、ウォドルフ=アストリアで初めての自分へのご褒美となる贅沢なディナーを摂った。食事をする周りの人の堂々とした振る舞いを模範にして、自分もあの紳士のように立派になりたいと思った。アメリカを体現したことで、少し、自分が大きくなれたことが嬉しかった。
帰国後、母の写真の前に大事な土産を置きながら手を組んだ。和子と渉太郎だけの無言の世界に、和子の微笑みが現れた気がした。母と一緒に銀座まで出かけた幼い頃の思い出が、時の流れと共にセピア色に染まる。時の速さを感じて渉太郎の心の秒針だけがなぜか寂しげに振れていた。
第二章 電話の謎
オフィスに一本の電話が入った。会長と社長をサポートする部署である。
電話を取ったのはこの部署で一番の古株で、老練な高杉であった。
「秘書室の高杉でございます。先生、ご無沙汰しております。ご活躍は常々マスコミをとおして存じ上げております」
いつものようにどこかのVIPからの電話かと、渉太郎は特に関心を持たなかった。
続いて、高杉はいぶかしそうな表情を浮かべて、
「ええ、ええ、確かに当部署に所属していますが、それが何か」
高杉は渉太郎を一瞥してから急に背を向け、受話器を覆うようにしながら、
「ええ……はい……それでは何かありましたらご連絡お待ち申し上げます」
意識的に声を抑えたような会話の内容は渉太郎にはよく分からなかった。
高杉は渉太郎に背を向けていた姿勢を元に戻しながら電話を切った。
高杉は傍らの渉太郎に目配せし、別室に呼んだ。
「今、青山議員から電話があった。君のことで何か話をしたかったようだが」
「そうですか」
「詳しいことは聞いていない。とにかく会社に迷惑をかけるようなことだけは慎んでもらいたい」
高杉は渉太郎を凝視しながら言い捨てた。