バザー・ナーダ(ナンを売る尼僧など)

布袋おやじはそれを振ってみて、

「ほれ、音がするじゃろう。まだ残っておる証拠じゃね。三分の一はあるだろう。いやあ、実にいい音がする。まるで水琴窟のごとき音じゃね。

いや、それだけじゃない。ほれ、お主たち、聞こえるか。よおく耳を澄まして聞いてごらんね。りんりん、りんりんと言う音に混じって、ほれ、人の声のごときもの、細い、遠い、かすかな人の声が聞こえるとは思わんか。

そうだ、これはの、最後の晩餐の時に、居並ぶ弟子たちに向かって、囁くがごとく語った、イエスさんの声と違うか。そうだ、間違いない。これぞまさしく、一個のタイムカプセル。その時のイエスさんの声を聞こえるがままに封じ込め、コルクの蓋を閉めたものじゃ。

ほれ、遠く、細く、かすかに『このパンを余の肉と、このワインを余の血として、飲みかつ食うてたもれ』とそう言う声が聞こえるではないか。

いやあ、二千年前のイエスさんの声がリアルタイムで聞こえているということじゃ。すごい、すごい。わしの手元にそれがあったとはな。

さあ、それではコルクを開けて、お主たちと、イエスさんの声を、福音を聞くとしようかの。そしてな、その声を聞きながら、この古酒を、このナザレ・ワインを、このVINO DE SHARAXÉEを、お主たちに頌付することにしようぞ。

さあさ、一杯千(りゃん)、一杯千両じゃ。この時をはずして、世紀のワインを、奇跡中の奇跡たるミラクル・ワインを飲む機会は失せてしまうですぞ。さあ、さあ、ごらんあれ。お試しあれ」

白いサーリーを纏った人々が、ここでもまたずらっと並び始めた。

その店はワインだけ売っているのではなくて、しかもワインセラーなどに入っている訳ではなく、無造作に、縦に並べられ、横に並べられ、斜めに並べられてあるだけである。

その上、ビールもあれば、ウイスキーも、ブランディも、紹興酒も、老酒も、日本酒も、焼酎もあって、世界中の酒が一同に会して並んでいたと言っていい。数限りのない酒の銘柄を見ているだけで酔いが回って来たようで、ぼくは布袋おやじをもう一度見てから、次の店に向かった。