第四条 「家事分担をさせる」
その一方で、ぬるま湯的パラダイス的な家庭の中で、可愛がられて決まり事を教えられなかったために「自他の壁」が弱く薄くしかできていない子がいる。この自我脆弱児と、先に述べた学習困難児(一般的には学習障害児と呼ばれている)は、学業取得能力が低いのと自我が弱いのとが共通しているので、一見では見分けにくいのである。
しかし、学習障害児とちがい、自我脆弱児は小学校一、二年位で鍛えると、普通にやってゆけるようになるのだ。早期に、この両者の違いを見分けて対処するなら、たくさんの子が"救われる"のである。その子自身の人生も、その家庭の生活も救われるし、社会全体、国家にとっても、負荷的な部分を背負わなくてすむのだ。いまや行政サイドでも、この深刻な問題に目を向けなければならないと思う。
四、五才位の幼児の中で、自我が弱く育っている子と、学習障害的に育っている子とを見分ける検診をマメに行うべきなのだ。三才児、四才児、五才児、就学前と、半年に一回とか、回数を多く検診を行い、身体的成長だけでなく、心の面で、又、行動の面で、どれ位、年齢相応に育っているかを見きわめるべきなのである。
子供の発達はデコボコしているので、半年から一年位の発達の違いは出てくる。そのことは考慮にいれなければならないが、三才では、自閉は分かりやすい。区別できる。
しかし、見分けにくい学習障害児と自我不全児(自我脆弱児)が、混ぜこぜにされやすいのだ。小学生の段階でも、一般教師は、その違いを分からない場合が多いのだ。日本中で多くの「自我脆弱児」が「発達障害」として見過ごされ、正しい対処をされていないのが現状と思われる。
私は、私のやって来たことに、ゆるぎない自信を持っている。
しかしながら、当方は民間の一学習塾であり、私には"権威"も無く"財力"も無い。私の力の及ぶところは社会の中で、末端の、末端の、そのまた末端にすぎないのである。
愛するわが子として大切に思い、必死に育ててきているのに、どこか、おかしくなってしまう子を持つ親の苦悩。何とかしたいと思っているのに、どうして良いか分からない悩みの深さ。それらを少しでも軽減するための制度を作るべきではないだろうか。