ゆらぎつつある「労働の質」
日本の青少年の現状に、不安や疑問を抱いている人は大勢いる筈である。日本が第二次世界大戦の敗戦後に、焦土の中から、他国にも不思議がられるような経済発展をしたのはなぜか?
それは、日本人は全体的に「真面目で働き者」だからである。又、日本語は「世界一難しい言語」と言われているが、その難しい言語を使って「難しい思考」ができる民族だからである。
ドイツ人も、真面目でキチンとした民族と言われている。事実、もう数十年前の事だがヨーロッパをフリー旅行した時に、ドイツだけはローカル線の電車が一分とたがわず正確に来た。イタリアでは「特急」と「特急」の乗り継ぎ時間を三十分以上取っていても、着いた時には乗るつもりの列車が行ってしまっていたり、ウィーンでは、特急列車が四、五十分も遅れて出発したりしていた。パリでも、三十分位は平気で遅れた。
それに対しドイツは、特急はもとより、一時間に一、二本位しか電車の来ないローカル線でも正確に走っていたのである。その後のドイツと日本の、他国に抜きん出た経済復興と電車が時間通りに来た事とは、同次元の事柄ではないだろうか。事実、山手線のダイヤの過密さと運行の正確さを、驚異的なものと思い、視察に来る先進国の政治家や経済人は少なくないのである。
ドイツと日本は「労働の質」が良いために、敗戦後に焦土と化した国土の中で、世界でも抜きん出た技術先進国になれたのである。
しかし、今、日本では、この「労働の質の良さ」が、ゆらぎつつあるのだ。今、すでに現象化しつつあるが、これからは、さらに「まともに働けない」「働こうとしない」若者が、激増してゆこうとしているからである。
不就労者の増加、労働の質の低下。
こういうことに対して、個々人の努力に加え、行政側も、その原因を「減らす」「改善する」ための施策を考えるべきではないだろうか。一人でも多くの子が社会の役に立つ働きができるように育てる努力を、社会全体がするべき時が来ているのである。