身体の痛みからは解放されましたが、精神的には苦痛の日々が変わらず続いていました。結局、覆水盆に返らずで、離婚に至ります。このときのアヤの両親はただ優しく、また、父親から言われたひと言に、アヤは心底救われた想いがして感謝するのでした。
結婚する前の例の一言には、内心反抗したかったアヤですが、この時ほど、父の愛を感じたことはありませんでした。アヤの父親への尊敬は、確かなものとなりました。ふたりの人生の再出発は、父子家庭とバツイチ女という、それぞれの人生を歩むこととなりました。
インディアン時代、自分の子どもを授からなかったことが唯一心残りだった彼女は、太蔵として、子育てを経験し成就させることができたのではないかと思います。子どもたちへ愛情を深く注ぎ、笑わせることが好きで頼りがいのある父親として、子どもたちからも信頼されていたと思われます。
一方、ひとりでの生活を再スタートさせたアヤは、仕事に没頭するしかない状況で、子どもたちの成長を祈ることしかできませんでした。年に数回、子どもたちと会える日を楽しみに、仕事に生きた年月に悔いはありませんでした。
やがて、それぞれ成人となった子どもたちは、アヤにとっては唯一自慢できる、素晴らしい個性を持っていました。このことは、子どもたちに関わってくださった、すべての方々のおかげにちがいありません。そう思うことができても、アヤの子どもたちへの罪悪感を拭い去ることはなかなかできず、また、自分自身を許すことができなかった彼女でした。離婚して20 年以上のときを経て、アヤはあるとき不思議な体験をするに至ります。
自ら封印していた想いが、パーンと弾ける感覚が、ある夜突然にやってきたのです。