適応障害という呼称は、ICD、DSM以降であり、それまでわが国では精神疾患の病名としては使われていませんでした。診断基準に示されている適応障害と、一般的な感覚でとらえられる適応障害には違いがありますが、言葉としての広がりによって、ストレス因を日常生活上のことにも広げ、仕事や家事や学業などやらなければならないことがうまくできないと適応障害と表現され、認知され、治療対象になっているように思います。

何かブーメランのように戻ってきて理解が拡大された印象ですが、わが国においては仕事や家事や学業は動かし難い運命であり、それに適応することが絶対であるという前提があるのかもしれません。

確かに、一般的に仕事は適応しなければならないという大きな前提があるのでしょう。現代は働くこと=社会生活を送ることだと思われているので、働けないと社会生活上の能力に疑問符を打たれます。

うまく働けないことがひとえに適応力がない、適応障害と読み替えられてしまうのかもしれません。あたかも現代の資本主義経済を回す一員として機能することが当然のことであり、それが適応することだと考えられているかのようです。

〈ちょいたし3〉適応って、何?

辞書には大体、うまく当てはめること、生物が環境に合わせて変化することなどと書いてあります。これらは適合や順応に近く英語のAdaptationに近いのだと思います。生物や動物が環境に沿って生きることであり、変化する環境に適応できなければ死んでしまいますが、適応できれば生物学的地位(ニッチ)を獲得することになります。

精神障害の診断基準では、適応障害はAdjustment Disordersと書かれています。

屁理屈のようですが、このadjustは整える、調整するあるいは和解するなどの意味合いがあります。出来事や問題に対し自分の調整がうまく行かないことによる症状や状態が適応障害ということになります。

ここで適応とは何かという難しい問題にぶつかってしまいますが、確かにadaptationはより生物的で環境に順応し環境との相互作用で変わっていくという印象がありますが、adjustmentはより社会的で人間社会の避けがたい出来事にどう対応するかという印象があります。

【前回の記事を読む】「適応障害の診断基準は、ある程度明らかな輪郭があります」