その日私は祖父、祖母の墓を訪れた。いつも以上に心を込めて。そしてお墓の周りも綺麗にして。冬の木枯らしが聞こえる。ビルマには木枯らしはないかもしれないが、日本では冬始めにはいつも聞こえるのだ。水島もその仲間達も場所こそ違え、地下に眠っている。きっとあの世では皆一緒に合唱なり堅琴を演奏し、平和な世界で楽しんでいることだろう。歌は言葉がわからずとも世界に繋がる。

「埴生の宿」「蛍の光」「庭の千草」などはいずれもイギリスが原曲だ。コロナで閉ざされてきた今の時代から早く脱出し、 私ももう一度合唱団に戻りたい。そしてあの水島のように、明るく困難にもめげず、日々を一日一日太平に生きていきたい。

作者、 竹山道雄先生は亡くなられた。ドイツ文学者として道を歩みながら、このような物語を書かれたことに敬意を表したい。きっとあの世で一緒に歌っているのだろうか。

こうして書いているうちに、ふと好きな短歌や詩歌を思い出した。勿論「死」に対する歌。それは斎藤茂吉のしにたまふ母や、室生犀星の詩歌、「靴下」や与謝野晶子の「ああ弟よ君を泣く」である。これらに出合ったことも、思い出の箱に輝いている。

今私は平和をこよなく愛し、特に意味のない、自分勝手な戦争をとにかく嫌う。誰もが貧しくても明るく、平和に暮らすことができたらなんと幸せなことだろうか。

座右の書

私の座右の書に新渡戸稲造著『武士道』がある。正義、日本人の心、魂や守るべき美意識等、我らの宝庫だ。迷ったときや悩んでいるときはいつもここへ戻る。「とりわけ武士に二言はない」だ。男が一旦決めたらその道を進む。人の指示などに左右されない。

もう一つ好きな言葉は「敗者の美」である。負けた側にも言い分はあろう。古くは大友皇子、源義経、平家一族、明智光秀、石田三成そして新選組等は敗者だ。学校、会社、資産についても同様、しかし負けた側は美しい。私はここに魂の叫びがあると思う。間違ったことはやらず、我が道をゆく。人のいやがることはしない。負けとわかっていても向かう。周囲から愚かと言われても道を違えず、信念を進むことだ。

中国に「菜根譚」なる古典もあるが、これは前述の意味ではない。戦争を起こさず平和に過ごすことはこの上ない幸せだ。敗者にも歴史はある。 虐げられない世の中を作ることに賭けることこそ私の自分遺産だ。

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