「一大事がある。速やかに集まれ」いつも冷静な重盛公が突然皆をあつめて…
『幼学綱要』を読む
【第7回】
河野 禎史
日本の未来に危機感を抱き、「孝行」「友愛」「信義」など20の徳目から我が国と志那の偉人にまつわる逸話が記された、明治の子どもたちの学びのための書を現代語訳する
明治 15年(1882 年)、その勅命を受けた元田永孚によって編纂され、宮内省より頒布されたのが『幼学綱要(ようがくこうよう)』です。戦後以降の日本では『幼学綱要』について新たに解説された書籍はほぼ存在しておらず、いまではその存在を知る者も少なくなっています。本書は、そんな日本の未来に危機感を抱いた著者が執筆した『幼學綱要(原文)河野禎史注釈』(2021 年 マーケティング出版)を現代語訳したものです。※本記事は、
河野禎史氏の書籍『「幼学綱要」を読む』(幻冬舎ルネッサンス)より、一部抜粋・編集したものです。
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第一章
⑦日本外史(巻之一・重盛の極諫)、平家物語(巻第二・小教訓)など「鹿ケ谷の陰謀」
【7】「平重盛」
宗族である朝廷と並んで天下の地の半分を頂くことができました。一族は朝廷から恩を受けることが最上であり、朝廷から一族が妬まれていることなど、誰が納得して言うことができるでしょうか。
しかし、一族の運命は尽きておりません。罪人すでに捕らえました。適正に罪にあたるところを調べて収めてから、これまでの理由を述べるべきです。そうして、皇室の権威を晴らすべきです。なぜ速やかにしないのですか。
私は、このようにも聞いています。皇室のことは家にも影響を与えますが、家のことは皇室には影響を与えません。まして、善悪がはっきりしていることは当然です。重盛は君の恩を受けており、挙兵など耐えることができません。従うか背くかなど決めることはできません。最初から皇室に従う心の者です。
重盛には、私のために決死の覚悟で戦ってくれる仲間が二百余りいます。過去の前例として源義朝は天皇の勅命を受けて父を斬っています。子がこのような大きな道に背いたことを言うのも悲しいところです。これは父を親しく見ることと異なっています。忠義の心を持てば孝行にならず、孝行の心を持てば忠義を棄てることになります。重盛の心はここにあります。父が必ず、今日の挙兵を止めることができないと望むなら、まずは重盛の首をお切りになってから出発してください」
このように言って涙を流しました。その場にいた、全ての人が感動しました。清盛は言いました。
「私は年老いてなお、ここに挙兵するのは、ただ、お前たち子孫を想ってのこと。必要がないと言うのなら、お前が後のことを上手く処理しなさい」
そう言って立ち上がり、部屋の奥に入っていきました。重盛は周りを見て、兄弟、一族を責めて言います。
「たとえ父が老いぼれて事を起こしたとしても、お前たちがなぜ助けて止めてやらない。逆にどうして誘いを進めるのだ」