あとは、当時からとにかくよく歩いていた記憶が残っていて、小さい頃から学校までの片道1km、往復2kmを歩いて通った他、時には2~3kmは離れていた生家にも一人で歩いていきました。
何にせよ、歩くのが本当に好きだったのでしょう。目的が特になくても、学校から帰ってくると毎日、近くの山を勝手に歩き回り、管理が悪くて大人には歩きにくい細い小道、獣道の様な所へも分け入って、無闇にさまよっていたのですから、よく遭難しなかったものだと思います。
食べ物も持たず、喉が渇けば谷あいの川へ下りて冷たい清水をすくって飲んだり、時には日が暮れて真っ暗な木々の上に瞬く満天の星をうっとり見ながら、ひたすら前へ前へ――距離でいったら、日々何kmくらい歩いたでしょうか。
山の中にはもちろん獣もいましたし、自分がどこにいるのかわからなくなる時もありましたが、怖いとか心細いという気持ちは不思議に湧いてきませんでした。振り返ると、あの頃から一人で黙々と歩きつつ、それで幼い好奇心を満たすという体験に、喜びを感じ始めていたのだと思います。
そういえば、八十八カ所との出会いもその頃で、母に連れられて香川県の善通寺市にある「ミニ八十八カ所」という所へ行った事は忘れられません。
これは、弘法大師の誕生所である善通寺の裏山にあり、江戸時代に寄進されたという88体の石仏を巡れば八十八カ所の札寺を回ったのと同じご利益があるという、いわば信仰と行楽を兼ねた様な施設。今も地元の人に愛されていますが、その時の体験が子ども心にもよほど楽しかったのでしょう、成長してからも八十八カ所というとまずそれを思い出したものです。
一方、子どもの頃にはへんろという言葉を聞くと、どこか怖い、不気味なイメージもありました。
というのも、当時はまだ何らかの事情で故郷を捨ててへんろ旅をし、お接待(後の章で詳しく説明します)で露命を繋ぐいわゆる“乞食へんろ”がかなりいて、そうした人たちは見た目も襤褸をまとっていたり、垢じみていたり……時には食べるのに困って、泥棒や追いはぎ等の悪さをする(その被害に遭うのは、多く一般のへんろだったそうです)というので、幼い自分にとっては恐ろしい存在に感じられたのでしょう。
むろん当時は、後年に自分自身がへんろをし、今も一定数いる「職業へんろ」(これについても後ほど)と呼ばれる人々と触れ合う事になるとは、まるで思っていませんでした。