その花壇にいた男子生徒は高校に入学してすぐにクラス担任の先生に心を奪われていた。その先生は美術部の顧問で美術を担当し、長い髪でスラっとして白と淡いピンクが綺麗に混ざり合うチューリップを思わせる花の装いをしていた。

「今日からこのクラスの担任になる(たちばな)香織(かおり)です」

という可憐な花の挨拶にクラスの生徒全員が先生に見惚れシーンと静まり返った。そこだけにスポットライトが当たり光輝くベールに包まれた先生の虜になってしまった。他の男子生徒と一緒に大人の女性に対する淡い憧れというどこまでも澄んで透明度の高い※セノーテの中に潜り、たとえそこに酸素が無いとしても先生さえいてくれたらその美しい場所から出たいと思わなかった。

人のオーラを花などの香りとして彼は感じることができた。ときにそれは花そのものであり、お香を思わせる香りや果実のこともあったが、いずれも女性からしか感じなかった。憧れの橘先生からは白檀(びゃくだん)の気品溢れる香りを(ほの)かに感じていたが、その高貴な香りはどこか儚い懐かしさを伴っていた。

それから数日後のこと、帰宅しようと彼が校門に向かい歩いていた。後ろで声がしたので振り向くとそこに微笑む橘先生が咲いていた。

「花壇で一緒に花を見て欲しいんだけど、時間大丈夫」

と聞かれたので、「はい」と答えた。

「そう良かった……一緒に行きましょうか」

と言われ花壇に向かい黙って歩き、そこに着くと美しい長い髪を揺らして振り返り、

「覚えていないかもしれないけど、私は君に何回も会っているのよ」

と先生は僕に言う。

「えっ、どこで……ですか」

と聞くと、

「ここよ、だから今日誘ってみたの。まだ君が幼い頃、お母さんと一緒にここによく来てたでしょ。私はお母さんのお手伝いしながら花のこと色々と教えてもらったの」

という答えが返ってきた。先生の言葉は僕をその幼い頃に引き戻していく。


※一 セノーテとは古代マヤ人が聖なる泉と呼んだ透明度の高い水中鍾乳洞のこと。

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