片方の靴下の意味
気持ちが前向きになると動き出したくなり、色々とやってみたくなる。
大手下着メーカーが乳房摘出手術をした人のため無料相談会をやっているので、予約を取ってみた。衣服の採寸や販売、相談だけでもオーケーなのだ。大きな会社の相談室は素敵なところで、まるでブライダル相談室だ。丁寧な専門家による対応で居心地も良く、心強い場所だと思う。
私はブラジャーとパッド、水着を購入した。術後にやってみたいと思うことの中の一つに「泳ぎたい」があり、仕事ではプールにも入るので水着は必需品だ。家の近くの公営プールにも息子と一緒に何度も通った。泳げることが嬉しくて、元の生活に戻っていくことを肌で感じた。
女性として乳房を失うことで他の部分の女性らしさを取り戻そうと考えた。しかし、今思えば「女性らしさ」というものは元々持ち合わせていなかったので、その考えは三日坊主で終わった。冠婚葬祭時の場に合った失礼のない程度のおしゃれのみで、日頃はGパンとTシャツとスニーカーだ。
アラ還の今は、失った女性らしさを取り戻そうとしたこともすっかり忘れている。寒くなってくると古傷が疼くことがあり、つい手で服の上から傷に触れてさすってしまう。「先輩、自分でおっぱい触るのやめてくださいよ」とすかさず後輩の突っ込みが入る。
乳房がないことを知らないわけではないが、日常の中では普通に過ごしているので周りは忘れているようだ。それでいいと思っているので普通に言い返す。
「だって~、痒いんだもん」
「もう、見てる方が恥ずかしいです」と笑って終わる。
冬のいつもの一コマだ。術後20年以上もたつとパッドは使わず、もっぱら靴下を小さくたたんで詰め込んでいる。職場の更衣室で着替えた時に胸からポトリと落としても、靴下なので誰から見ても何の問題もない。しかし、家で自分以外の者が洗濯物を畳むと、いつも聞かれる。
「なんで、この靴下は片方しかないの?」
「おっぱいよ」