いい加減面倒になり、これが最後だと決めて少女に接近した時、彼女は図鑑をぱたんと閉じて、私の方を見た。そしてその図鑑を、私に差し出したのである。内心うろたえつつ立っていたら、

「これ、見たいんですか?」

少女が話しかけてきた。どうやら彼女は、私が何度も彼女のそばを通過していたことを知っていたようだ。

「見終わったから、いいですよ」

つぶらな目に、少しだけ不審な表情を浮かべ、少女は言った。

「ありがとう。これ見たかったんだ」

私はバツの悪い笑みを浮かべ、図鑑を受け取った。私を振り返ることもなく、少女はどこかへ走り去っていった。全く興味のない植物図鑑を私はしばらく眺めていた。日記によれば、図書館から出ていく少女の姿を目撃することになっているが、もはやその気力を失っていた。図鑑を本棚に戻すと近くにある腰かけに座り、ルーブル美術館集を、やはり興味もなく眺めた。

慣れないことをやってどっと疲れてしまった。日記と同じように生活し行動することは難しい。私はそれを痛感せざるを得なかった。結局鉢合わせゲームは成立しなかったし、なにより十九歳当時のような心境になれないのだ。すぐに疑問が湧いてきてしまうし、日記の字面だけ、形だけ追い回していたのでは、過去を所有することはできない。

かといってロリコンに目覚めることは犯罪に近い。かつての心情、精神、欲望を共有しつつも、染まりきることなく、冷静に己を見つめる目も失ってはならない。そういう綱渡りの技術が必要なのだ、この真夏の挑戦は。

図書館を出ると、再び炎天下の中の自転車漕ぎである。次は本屋でのエロ本購入というのが、私に課せられた使命なのだ。実際やってみると、私のチャレンジというものはなかなかどうして、大変である。夜更かし、起き抜けの自慰、炎天下の中自転車漕いで、図書館で少女を追いかけ回し、挙句エロ本購入と来た。しかしこの程度のことは困難でもなんでもない。

本当に困難で情けないのは、これからなのである。

私は覚悟の上で来たつもりだが、過去の愚劣な生活に自分を染めるということは、自分を壊すことにもなりかねない。過去の私が今の私に襲い掛かり、食らってしまうかもしれない。食らわれ、壊されるだけかもしれない。

(それならそれでもいい)

ヤケ気味に、私はつぶやく。少しだけなら、壊れてもいい。私は照りつける太陽に期待した。

(熱中症にしてもいいよ。病と呼べるほどに、オレは熱に浮かされる必要がある。多少壊れなければ、変わりようもないのだから。熱い夏になれ、もっと熱い夏に!)

私はあえて日陰をよけて自転車を漕いだ。目まいがしそうだ。果たしてこの自転車は、無事本屋までたどり着くことができるだろうか……?

【前回の記事を読む】「単なるゲームではなかった」救いを求めつつ、若さゆえの愚かな行為に没頭する19歳の私