ゴムの底にたまった白濁の液を、下から呆然と見上げた。沈殿した液体の白さに、人間はどこまでもタンパク質なんだと思い知る。肌も爪も歯も眼球もタンパク質でできていて、石鹸で擦ろうと人に打ちつけられようと、柔軟性と弾力を持って堪えてみせる。
シャワーを浴びながら、皮膚が水圧で骨からはがれ、排水口に流れていく光景を思い描く。だが、鏡には無傷の自分が映っていた。背後のバスタブでくつろぐマキさんと目があう。
「ネカフェで会おうって言われたから、遊んでるのかと思ってた」
意味がわからなかった。ただ、最初からホテルという完全な密室で会うよりは、なにかあった時に対処しやすいと思っただけだ。だが、外に飛び出して人に助けを求めたところで、公の場であんなことをしていた人間に味方なんていないだろう。他人に淡い期待をしていた自分を馬鹿らしく思いながら、泡風呂の入浴剤を持って帰った。
いつも行くのは、部屋の横に車庫がついた格安ホテルだ。モーテルと呼ぶことを古い映画で知った。会社と部屋の往復だった生活に新たに加わった場所は、露骨に猥雑で、自分の希望と失望を叶えるのに最適な場所だった。ここは桃源郷だ。
「マキくんって呼んで」
ある日、ベッドでそう言われ、異国の言葉を聞かされたような気分になった。抵抗感はなかったが理解が追いつかず、そのままマキさんと呼ぶ。
そうした些細な出来事はありながらも、気がつくと一週間で入浴剤が三個もたまっていた。だが、年末に入った途端に予定があわなくなり、あの時くんづけで呼ばなかったことを後悔した。
「全然近所なんだけどさあ、出張でこっち来てるから、年末年始は帰らないといけなくて」四人目の奥さんで、帰るたびに浮気を疑われると、彼はぼやいた。
冬の連休を埋めるために出会ったのが、タツマさんだった。三人目の彼も例にもれず既婚で、食事に行く友達でもいいかと思って短絡的にアドレスを交換した。
無料通話アプリではじめて聞いた声は、ターコイズブルーの優しい色をしていた。
「俺は飲みでもなんでもいいよ。食べたいもの言ってくれたら奢るし」
職場では高卒の新人なんて奴隷のようにしか扱われないのに、この世界ではまるで大切にされた。やはり学歴も経験もないガキなんて、身体を売るくらいでしか価値がないのだ。それは残酷な現実だったが、甘い理想でもあった。
倫理に反した欲を満たしあう関係は、いつか脱しなくてはいけないユートピアそのものだったが、そこには束の間の救いがあった。堕落することで安心する夜もある。例え既婚でも、なんの仕事をしていても、彼らがいなければこんな狂った生活すら送れずに、部屋で首をくくっていたことだろう。
タツマさんは角のない天然石のような言葉で優しく誘導し、数日後、駅で私を車に乗せるとホテルに直行した。
彼は車内で仕事と奥さんの話をした。
「遅番で帰ったら、もう先に寝とるんよ。起きといてくれてもよくない?」
まあ色々大変なんでしょうと、誰も傷つけない相槌を打つ。きっと調子をあわせたほうがいいのだろうが、見たこともない人を褒めることも腐すこともできなかった。