悠子は仏像の専門家である。宗教家ではないが仏像の尊厳は心得ている。どの仏像も役割こそ違うけれど尊さに上下があってはいけない、と考える。その観点でいえばこのような展示の仕方は理想と言えた。
悠子はこの美術館に来たことにより、仏像と仏堂の一体性を改めて考えさせられた。森村教授の唱えている総合文化とはこうした考えの表現を指していると思った。
まさに目からうろこが取れたと思った。木を見て森を見ず、森を見て山を見ずの言葉のとおりであった。
悠子はこれまで仏像しか関心がなかった。仏像のみを追いかけてきた。自分のいたらなさをこの美術館で思い知らされた。今までの自分は狭い分野で過ごしてきたと考える。大きな視野の必要性を改めて強く感じられた。これまでの自分を情けなく思えた。でもようやくにして檻から出られたとも意識した。一つ脱皮できたかなと思った。
仏像を評価するには仏教学、歴史背景、時代環境、地域風土、工匠技法など、その時代の様々な分野における造詣が必須となる。そのことを感じ取るような自分にならなくてはいけない。と思うようになっていった。
同時にこれまで戴いた森村教授の暖かい見守りに感謝の念が湧いてきた。教授が料亭の日本料理を食べてみろという思いが少し分かってきた。おいしい料理とは、素材があり、それを調理する技があり、盛り付けがある。おいしく見せる器も大切な要素となる。
当然ながら、しつらえ、部屋の造作に加えて、床の間の飾り、建物の造り、庭や塀から門にいたるまで、すべてがおいしい料理に繋がっている。日本料理、料亭の奥深さは計り知れない。まさに総合的な美学そのものと言えよう。
森村教授はそのことにいつかは気付いてほしいと願っていたと察しられた。悠子は意気揚々として奈良に戻った。生まれ変わった悠子は新人のごとく研究に向かっていった。悠子のこころには、意欲が満ちあふれ、感性も強く充実していった。