あれは、ポスティングを始めてから三ヶ月が過ぎた去年の夏だった。白鳥さんの家は、ポストに内側から細工されていて郵便物が入らないようになっていた。枯れたままの植木鉢が放置されているわけでもなかったが、車や自転車も見当たらない。月子の頭の中の地図には空き家マークがつけられていた。

隣の家のポストを目指して足早にスルーしようとしたら、門柱の陰からいきなり人が現れた。ぶつかりそうになり、避けようとして足のバランスが崩れた。よろけながらもつれた足を戻そうと試みるが、なぜか脳の指令に足が従わない。その時前方から車が来て、持っていた広告紙を落とさないようにと、無意識にかばったことがいけなかったのだろう。側溝に片足を突っ込んで体ごと雪崩れ込んだ。

「だ、大丈夫……ですか」

聞こえて来たのは、男の人声。丸い目が月子を覗き込んでいた。

「大丈夫……」

月子の口は反射的に動いたのだけれど、心の中で(じゃねーよ)と呟いていた。月子は相手の目をじっと見つめてしまう癖がある。吸い込まれるようにその人の目を見た。黒目がちの丸くて小さな目だ。この目、どこかで覚えがある。呆然としながら頭に浮かんだのは、北極に生息しているあの愛らしいゴマアザラシだった。

「じゃないですよね」

側溝にほぼ全身が埋まった月子に手を差し伸べ、もう一方の手で広告紙を救出した。広告紙は無事だったが、左手は肘から手首にかけて派手に擦りむいて血が滲んでいた。

「歩けますか」