「期間が二十年なのか三十年なのか私にはわかりません。借り上げ業務は日本政府がします。それに関する法律は日本国のものです。あとは日本側の役所から連絡が来ます。連絡が来たら一週間以内に立ち退いていただくことになると思います」
「立ち退くって、どこに立ち退くのですか」
「それは日本の役所の方と相談してください。もし心当たりの家があれば、どこに立ち退くもお宅の自由です」
「そんな家、あるわけないじゃありませんか。焼け残った家さえないこの街の中に、空いている家なんかありっこないじゃありませんか」
「大変お気の毒とは思いますけど、焼けたと思えばいいんじゃないですか。空襲で家を失った人達も、みんな自分達でなんとかしています」
母はもう何も言わなかった。何を言っても絶対に無駄なことを悟ったのだ。
「詳しいことは日本の役所の人に尋ねてください。私は日本の役所の者じゃないんです。進駐軍の職員です」
『進駐軍の』と言う時、男はひどく胸を張った。どうせ一カ月くらい前に臨時雇いされた通訳に違いないとぼくは思った。そんな人達はみんな日本人のくせに日本人を見下していて、決まって変なアクセントの日本語を話した。
戦時中、英語は敵性語として使うことを禁じられていたから、ぼく達は学校で『レコード』は『音盤』、『エレベーター』は『昇降機』、頭髪の『パーマ』は『電髪』、『テニス』は『庭球』と言い換えさせられていた。それなのに、戦争が終わった途端にカタコトの英語の知識がドルを稼ぐ貴重な道具に変わっていたのだ。ほんの数カ月の間にぼくの前で物の価値は風車のように回っていて何を見ても驚くことなんかなんにもなかった。
それだけ話し終わると男は三人のアメリカ兵の方に向かって何か言った。要するに仕事は済んだと言ったのだろう。
タイヤの音をキリキリと軋ませてジープが走り去り、角を曲がって見えなくなると、母はぼくの手から黙ってガムを取り上げてゴミ箱に捨てた。ぼく達一家は、慌ただしく家財道具をまとめて一キロたらずの距離にある親戚の家の片隅に移った。狭い所だったが、今まで通っていた学校に同じようにぼくが通える場所と考えて両親がそこに決めたのだった。学校は少し遠くなったが、そんなことはなんでもなかった。
何が起ころうとぼくはすぐに慣れるのだ。ただ学校の行き帰りに今まで住んでいた家のそばを通るとき、ぼくは息を止めるような感じになった。家が惜しいなんて気持ちは子供のぼくにはなかった。ただこの家には妹の思い出があった。一緒に削った木の幹の傷、妹が落ちてぼくが引っ張り上げた浅い池。