遠い夢の向こうのママ 毒親の虐待と夫のDVを越えて

試験の教室の中は受験生だけだが、教室の窓は開いており、廊下では沢山の保護者が心配そうに見守っていた。

私は試験を解いていたが書き間違えてしまって消しゴムを使った。この消しゴムは、机の上に出したままでいいのか? それともふでばこにしまわなきゃいけないのか? 試験内容よりもそれが気になり、考えに考えて、消しゴムを使う度にふでばこから出し入れをしていた。

そして無事試験も終わり、面接も終わり、帰途についた。帰り道、お母さんから「消しゴムは毎回ふでばこにしまわなくていいの」と注意されてしまった。知らなかった、覚えておこう。

その後しばらくしてくじ引きの結果が出て、無事、合格通知が届いた。お母さんはとてもとても合格したことを喜んでいた。私の家は、公立の小学校の目の前にあったが、その学校ではなく、徒歩とバスで1時間かかる学校に通うことが決まった。幼稚園から中学まで一貫校だから、中学までの9年間をそこで過ごすことになったのだ。

入学前、制服の採寸などがあり、いよいよ入学式を迎えた。子供ながら、すっごくドキドキして緊張していたのを覚えている。机には全部名前が貼ってあった。自分の机に座って、隣にどんな子が来るのかドキドキしながら待った。

長崎市内で制服があるのは、私が通う国立の学校と、私立の学校くらいだった。そのため、制服を着ているだけでとても目立ち、私服の同世代の子からいつもジロジロと見られていた。

そしてしばらくして気づいた。その制服の帽子。それが、お母さんが以前「あんたにも被って欲しい」と言っていた帽子と同じだった。家にあったのは、典子姉ちゃんが被っていた古い帽子だったのだ。

お母さんは、私にこの小学校に入って欲しかったんだと悟った。お母さんの希望を叶えることができた気がして、私は嬉しかった。

幼稚園の友達にはもう二度と会うこともなく、近所の子は目の前の小学校に通っているので、近所の友達はひとりもいなかった。そうやって私の小学校生活が始まった。この頃までは、私の生活はごくごく普通だったと思う。