Ⅰ レッドの章
メモワール序章
あの前世紀の大戦後七十年の今年、僕は八十歳になった。あのころの両親の年齢の倍近くの年月を生きてきた。思えば長生きしたものである。
今から十年ほど前のことだが、僕は丁度フランス・ノルマンディーの海岸近くを旅していた。それは長年の学者仲間でもあるフランス人の友人Jと一緒の旅だった。
Jは言語学の研究者で、僕は彼の著作は読んでおり、分野は異なるものの互いに刺激し合う(ただし僕の書いたものでフランス語訳のあるものはそう多くはないが)仲だった。おまけに彼はワインの名産地のブルゴーニュ出身で、良き飲み友達でもある。
僕はフランスの後期印象派の画家たちが愛してやまなかった美しいノルマンディーの海岸に魅せられ、ノスタルジーを掻き立てられていたのだが、Jの見方は少々違ったものだった。彼は前世紀の大戦の戦場跡に立ち、海岸の町の一角に記念として残された戦車や教会の残骸を指さしながら、ここは二十世紀の二つの戦争の後、変革の荒波が押し寄せてきた歴史の転換の出発点だと言った。
ノルマンディー上陸作戦は一九四四年六月六日だから正確には日本の敗戦から数えて五十九年後の記念日だ。僕らはユタビーチ、オマハビーチ(戦場跡の海岸)などの海岸を巡るアメリカ人らしい観光客の一団と巡り合った。彼らはどうやらノルマンディー上陸作戦を戦った米軍のベテラン兵士たちらしく、丁度今の僕の年齢くらいの人々だったと想像する。
ツアーガイドの指さす方向を眺め、説明を聞きながら、思い入れ深い様子で辺りを散策し、あのころの戦闘の激しさと、その中を無事くぐり抜けて生き延びた自分たちの運命を思い返し、感無量の様子だった。彼らはその戦いを経験した時にはおそらく二十歳前後の若者だったに違いない。そしてそれは彼らの最後の戦場跡の訪問だったと思われる。
敵の弾に倒れ、異国の土となった戦友に思いを馳せ、それからの自分の人生を思い、改めていかに自分がラッキーだったか、いかに亡くなった戦友たちが無念な死を迎えたか、万感の思いを分かち合っているようだった。それは一過性の感傷ではなく、死ぬまで彼らに付きまとって離れない重い過去だろうと想像された。
事実Jはあの戦争の記憶は、現代に至るも作家たちの深層心理を形成している重大な要素の一つだという。その始まりは第一次世界大戦に遡り、そしてその後のダンケルクの戦いにつながっていくのだ。