悠子は岐阜市から二十キロほど北にある美濃市で生まれ育った。中学時代の修学旅行で奈良法隆寺に行ったとき、そこで見た仏像に魅了された。中宮寺の弥勒観音薩像に深い感銘を覚えたのである。
特に仏教に信心した訳ではない。が、その姿、表情にあこがれのような気持ちを抱いてしまったのである。いわば一目惚れのように似た心境に陥ったのであった。
そこからがスタートとなった。まっしぐらに勉強して奈良大学文学部史学科の学生となっていた。奈良の仏像を片っ端からみて歩いた。ついで京都を始め、関西にあるほとんどの寺院と仏像を見て廻った。
その後、図書館に行き、それらの資料をむさぼり読む毎日であった。気が付いたときは修士課程に席を置き、奈良での生活は七年目を迎えていた。
ゼミの教授は森村博士である。教授は物静かな態度でずっと悠子を見守ってきた。
森村博士は悠子にこう言った。
「小笠原君、君の研究テーマは決まったかな」
悠子が答えた。
「まだ決めかねています。仏像はそれぞれに魅力があります。また、時代性もあり、作り手による特性もありさまざまです。焦点がしぼりきれていません」
「さもありなん。多くの研究者がそこで悩み、壁を乗り越えないでいる。もっと大きな視点から見ないとその壁は越えられない。旅にでも出てみたらどうだ。何かにぶちあたって面白い発見になるかもしれない」
博士の勧めで、思い切って旅に出た悠子であった。バイトで稼いだわずかな資金では遠方とか豪華な旅はできない。それと、性格からして有名な観光地には行きたくない。人ごみのない静かなところが良いと思った。
そんな思いで決めた行き先は、北陸から新潟に向かう旅にした。
普通列車でのんびり行こうと思った。特に目的地は決めなかった。心の整理をしてみたかったし、こんな小旅行で大発見ができるとは思わなかった。気分転換でよいと、初めから考えた旅であった。
福井、金沢、富山と途中下車をしながら北上して行った。それなりに面白さはあった。地元ながらの名物を楽しんだ。列車のなかで思わず笑ってしまった。
結局、今回の旅は「こころの探求」ではなく、ただの観光客になってしまったかと思った。それでもしばしの開放感を味わい、また一人旅の気ままさで、すごくリラックスな状況を楽しめるようになっていた。親不知あたり、列車から眺める日本海の海の青さも心にしみる素直さが表れるようになっていた。