河津三郎の死 兄五歳・弟三歳
世に、水の流れと人の身ほど、行く末の分からぬものはない……。河津三郎の突然の死が、残された家族に与えた衝撃と混乱は、筆舌に尽くせぬものだった。曽我物語には、その時の様子が哀れに語られる――。
河津三郎の遺骸が、伊藤祐親の館に運ばれたのは、その日の夕方であった。すぐさま河津の館へも知らせが届き、三郎の妻子が狂ったような勢いで駆けつけてきた。
妻は満江、まだ二十六歳。子は息子が二人で、兄が一萬、弟は箱王。この二人の兄弟こそ、曽我物語の主人公。後に二十二と二十の歳で、一剣父の仇を屠り、武士の鑑と謳われて名を留むる、曽我十郎祐成と同じく五郎時宗なのだが――まだこの時は、五つと三つの幼児に過ぎない。
変わり果てた三郎の姿を目の当たりにしたとたん、満江は「ああ!」と声を上げて、夫の遺骸の上に身を投げ出して泣き叫んだ。
無理もあるまい。これほどに幼い子供が二人いて、突如夫に死に別れた苦悩は計り知れない。ましてや、彼女はこの時九か月の身重であった。あと一月で三人目の子が生まれると、夫と共に喜び合っていた矢先だったのである。
「三郎殿、三郎殿、なぜ何も言いませぬ。目を開けて下され、起きて下され……」
繰り返し掻き口説き、目も潰れるほど泣き続ける満江の姿は、目も当てられぬ痛ましさ。
「ああ――わたしも一緒に死にたい! 三郎殿、なぜわたしを置いて……」
周囲の人々は
「お嘆きはもっともだが、身体に障る……」
「二人の子供らがいるのだから……」
と、必死になだめようとするが、そんな言葉も、今の彼女には届かない。