この地味で孤独な副業をやり始めて一年と数ヶ月。創造力もコミュニケーション能力も必要ないこの反復作業は、月子の性に合っているようだ。人様の家のポストに広告という物を投げ入れるという、ちょっとした罪悪感みたいなものが伴う。だから、それを払拭するようにアスリートになって没頭する。
誰にもその成果を賞賛されることがない代わりに、ジムに通うのと同じくらいの有酸素運動の効果と筋力維持を得ることができるのだ。風邪をひかなくなったし寝つきも良くなり、代謝も免疫力も上がったと感じる。アンチエイジング効果は抜群だ。だから月の数日、重い腰をあげてポスティングに没頭する。ポスティング職人という立場があるとしたら、月子もその範疇に入るはずと自負する。
こうして歩いた分だけ左腕が軽くなっていく。自転車まで二往復し、今日自分に課したノルマ、五百部がすっかりなくなった。ロス時間も含めてほぼ二時間かかる。一部五円が月子の受け取る報酬だ。正直、夏の暑さ、冬の寒さ、日焼けも気になる。割りがいいのかどうかは考えないことにしている。
時計を見ると、十一時四十分。いつもより早い。自転車を置いた場所に戻り、かごカバーのジッパーを開けて、持ってきたボトルの麦茶を飲む。すぐ横の階段を上がると、市内を東西に走る幹線道路と市街地を見下ろす小さな公園がある。遊歩道が尾根のように続いていて、時折犬の散歩に訪れる人が通るぐらいで、藤棚のあるベンチは格好の休憩スペースだ。
座って、額や首に滲んだ汗を拭う。帽子もマスクも剥ぎ取り、ラップに包んだおにぎりを頬張る。今朝、柔らかめに炊いたお米をふんわり包んだ。塩味を含んだご飯粒が唾液と混ざり合う。それを口腔の隅々まで行き渡らせて、ゆっくりと咀嚼する。背中にもじんわりと汗をかいていた。
幹線道路を走る車を動体視力で捉える。エンジン音と道路を滑るタイヤ音は心地よいノイズとなって森閑とした住宅地に届く。往復の道の途中にあるグラウンドもここから俯瞰できる。平日だからか、グラウンドにもコンクリートの観覧席にも人っ子一人いない。猫が一匹歩いている。グラウンドと道路の境界にひときわ高くそびえるメタセコイアが一本直立している。枝々に薄緑のレースを被せたような細やかな葉が風に揺れて明るくきらめいている。
メタセコイアは、太古の地球に繁殖していた植物で絶滅したといわれていたが、二十世紀中頃に中国のどこかで発見されて以来、日本のあちらこちらで植えられたとか、最近知った。植物の生死はどこにあるのだろう。ここから見ると、帆を広げた優美な姿で広い空を航海する帆船のようだ。