3.猿田彦神が伊勢に来るまでの経路

猿田彦が渡来した後の移動経路は、次のように推理できる。猿田彦の渡来は、半農半漁の弥生時代のいつごろか、その海の民の首長となって、ユダヤ系の神として渡来した。おそらく対馬から壱岐を経て(あづ)()族と一緒になり、瀬戸内、紀国・熊野と通過してきたと思われる。

太平洋側には、彼ら海人たちの名を冠した地名が連続して残っている。伊勢湾から神島を渡ると、そこは安曇族の住んだ渥美(あつみ)半島である。相模湾には熱海(あたみ)があり、関連する地名としての「紀国」は、『常陸国風土記』の「筑波郡」にもある。

筑波県(つくはのこほり)は、(いにしへ)(きの)(くに)()ひき

千葉県の木更津(きさらづ)は、紀国から来た人々が去らなかった、という意味であるとの説もある。「木」は、「紀」として解釈できるからである。安曇族の別派は日本海側を北上して、長野県の安曇野(あづみの)に名を残し、琵琶湖西岸の安曇川(あどがわ)にもその痕跡がある。琵琶湖畔の秀麗な山並みは比良山脈であるが、その「比良(ひら)」は「(しら)」となって、湖上の鳥居で有名な(しら)(ひげ)神社へと繋がっている。

白鬚神社の祭神は猿田彦命であるから、「比良=白鬚」は「伊賀」を経て、伊勢の猿田彦神社とも関係している。渥美半島の先端は伊良湖岬というが、次のように変化したのだろう。

HIRA→HIRA―KI→HIRA―KO→(H)IRA―GO→IRA―GO(比良)(比良から来た)(伊良湖)

この推理に従えば、伊勢の猿田彦神社と伊良湖岬の間にある菅島や神島にも、きっと猿田彦=白鬚が坐すことになるはずだ。神島は、三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台でもある。神社名と祭神および地名の関連は、グーグルで検索したり、また既著でもお世話になった『日本の中の朝鮮文化』(金達寿/講談社文庫・昭和59年)を参考とした。

しかし先生の著述は、朝鮮半島から渡来して倭国に住み着いた人々を調査対象とするものであるから、半島からの渡来者で、かつさらに遠く、西域や北狄の人たちのことはほとんど論点の外にある。半島を経由したものの、そこに留まらなかったケースとして、騎馬民族の大王やユダヤ系秦氏などのグループがあった、という立場が著者の視点である。