【前回の記事を読む】88歳のばあちゃんは語る「過ぎれば辛いことも一つの思い出に」
第1章 左乳房 ~33歳、乳がんになりました~
おっぱいがウインクしてる
術後3週間で退院。久しぶりの自宅に一歩入ると思わずつぶやいてしまった。
「狭いながらも楽しい我が家」
ほっとした瞬間。家の匂い、狭い玄関に置いてある家族の見慣れた靴。
「これこれ、これが我が家だ、生きて帰ってきた」
自然と顔が緩む。壁に貼った直太朗の作品や普通にあるすべての物が新鮮で、入院した日から止まっていた時計がまた動き出した気がした。
手洗いで洗面所の前に立つと鏡に映った自分の顔に変化を感じた。目の下に深いクマがある「やつれた顔」を見て、身体にメスを入れることは大変なんだと改めて思った。
退院後初のお風呂に入る。湯がしみるのではないかと少々の恐怖を感じつつ服を脱いだ。鏡に全身が映る。
「あらま、おっぱいがウインクしてる」
胸が人の顔に見えた。片目をしっかりと瞑ったままでウインクしている顔だ。見た瞬間「クスッ」とした自分がいた。悪いものは取り切ったという安心感で笑うことができ、何だか晴れ晴れしかった。
さて問題は湯舟だ。きっとしみる。絶対しみる。最大の恐怖だ。子どもの頃に膝のすり傷を手のひらで覆いながら入り、ゆっくりと湯に沈み身体を温度に馴染ませる。そして指を1本ずつ外していったことを思い出した。胸の傷もまさに同じである。胸の中央(心臓)から脇に向け、横一文字に20センチ以上の傷である。手のひらをめいっぱい広げて押さえた。
指を全部外せた時には「はあ~~」と力が抜けた「我が家の風呂はいいもんだ」と日常のありがた味をジワジワと感じた。傷をじっくりと観察した。
間隔が5ミリ以下の細かい縫い目がずらりと並ぶ。
「外科医ってホントに器用、お針が上手ね」とつくづく感心した。