第一章 発端
「実は、浜村さんに聞いていただきたいことがあるんです。ここに来る前、時間つぶしに交差点に面した喫茶店に立ち寄ったのですが、そこに確かにいたはずの女性──お客さんだと思うのですが──を春子さんはいないと言う。しかし、私はこの目で確かに見たのです。ここへ来てから、不思議なことは他にもあって」
すると浜村さんは、何かをじっと考えていましたが、ふと顔を上げ、
「佐伯さん、知り合ったばかりでなんですが、ちょっとこれをご覧になってみてください」
浜村さんは、展示室の中央に設置された鍵付きのガラスケースに保管している一冊の古書を取り出しました。
「十六夜の会 第七節」
表紙にはそう書いてあります。
「十六夜の会?」
「月ノ石在住の文芸好きが集まって編集した同人誌シリーズのうちの一冊です。もともとは役場を中心に発展したのですが、いつからか役所の手を離れて代表者が代々替わりながらかれこれ四十年以上も続いています。実はこの中に、私がもっとも注目している詩が一篇あるのですよ」
ほら、これです、と浜村さんはページをめくりました。
聖月夜
海岸の松林で一人の少女に会った
こんばんはおひとりですか?
あたしはいつも一人です
御覧なさい
この影だけがあたしの道連れなのですよ
月の光にほのかに揺れながら
少女の後方に長く細く蒼い影が伸びていた
ではあなたの影があなたの唯一のお友達だというわけですね
とんでもない
影はもう一人のあたし、あたしの分身、あたし自身、あたしそのものです
そんな退屈な存在が友人であるわけないでしょう
それだけ言うと、影を連れて
少女は道の向こうへと消えてしまったのだ