同じ名前の鳥が鳴く
あんなに焦がれていたものでも、現実に触れると自分のものと何ら変わりないものに思えた。それどころか後頭部に添えられた手のひらの大きさと力強さに気を取られ、逃れようのない違和感に私は襲われた。
しばらくして唇を離し物理的に距離を取ると、彼の恍惚とした表情が私の心に暗い影を差した。そこには初めて会った時に感受した艶やかさも光もなかった。居た堪れない思いが、私の全身を支配していくのがわかった。
「ごめんなさい、やっぱり帰る」
突然流れを妨げた私に、彼は一寸の思考停止をしてから慌てた様子で謝罪を繰り返した。一切の悪がない人間から謝られるときほど、自分の価値を惨めにするものはない。終電を逃させる算段などなかったのだろう、せめてもの見送りを遂行しようとする彼を早口で制止して、私は部屋を飛び出した。
私もしくは彼の性別が違っていれば、それとも他の何かが違っていれば、何がどうなればよかったのか。答えの見えない苦しみを巡らせながら引き返す道のりは、数時間前よりも長く険しいものに感ぜられた。その間にも携帯電話は不規則に震えていて、おそらく田所さんからのものなのだろうと思った。
本当は人目もはばからず泣いてしまいたかったが、それをすべきは自分ではないという事実が私の涙を塞き止めた。馴染みのない着信を知らせるメロディーが耳をつんざく。いよいよ電源から落としてしまおうと上着のポケットを弄ったが、イヤホンが絡まってうまく取り出すことができなかった。その内に音は鳴り止んでしまい、ようやく機器を手にした頃には戸惑いの跡だけが画面に渦巻いていた。
着信履歴を遡り、その中で一番頻度の高い番号に発信する。それは初めてのことだった。
「どうしたの?」
相手は2コールの速さで通話口に現れた。驚愕と怒り、私への確かな歓迎が入り混じった彼女のその声は、私を深い安堵に導いた。
手帳を開かずともわかる来週までの予定に、田所さんとの別れを付け足す。私は通話を繋げたまま、二度と降り立つことのない駅の改札口をくぐった。
「面倒くさいなあ」
意識より前に零れた声はあまりに低く、誰の耳にも届かぬまま蛍光灯が照らすホームに沈んでいった。