定年退職後、中田は妻から、旅行会社から妻に送られてきた「こころの旅」というパンフレットの中で、仏教四大聖地巡りのツアーを募集しているということを知らされた。中田はすぐに申し込んだ。インド仏蹟への旅は、心はゴータマと結びついているとさえ思われる中田にとって、故郷への回帰かもしれないのである。
旅行会社の上得意らしい妻がいなければ、中田にそういう情報が入ることはなかったかもしれない。中田の妻は山と旅が好きだ。山は日本百名山を踏破している。旅で訪れた国は60以上にのぼり、海外旅行記『世界旅―俳句を添えて―』を自費出版している。パソコンに自分で文章と写真と俳句を打ち込み、印刷と製本は会社に依頼した。最初の句は次の通りである。
初旅や 雲の影ゆく パルテノン
中田は、妻には、なにかと助けられている。その中には、2500年前の人物を知りたいという、中田の一途さがある。これだけでも、中田は妻には感謝しかない。
「わたくしが出家を決意したときのことを話そうではないか」中田がその声を聞いたのは、平成13年(2001年)3月、仏教四大聖地巡りツアーで訪れた、ネパールのルンビニーでのことだった。どこから聞こえてくるのか、それが何であるか、中田にはわからなかった。しかし止めようにも止められるものではないと中田は感じ、なすがままにまかせた。
声の続きはルンビニーの遺蹟を見終わった後に記したい。
健脚であったゴータマにも老いが目立ってくる。ゴータマが故郷カピラヴァットゥに向かってゆっくりと最後の旅を続けている時であった。
80歳のゴータマは、当時のインドのパーヴァーという所で、鍛冶工チュンダから食事を受けて、激しい下痢が起こり、死ぬ程の苦痛が生じたという。食中毒なのか、毒を盛られたのかは分からない。ゴータマは血便を垂れ流し、何回も休憩をとりながら、侍者のアーナンダと共に、故郷のカピラヴァットゥへと歩みを続けたが、20㎞程進んだ、クシナーラーという所で力尽き、入滅した。カピラヴァットゥまでは直線距離で80㎞程であろうか。肉体的には苦痛な最期であったと思われるが、中田の幻影に現われるゴータマは微笑んでいるのである。
ゴータマ・ブッダ(釈尊)は、中村元(大正元年―平成11年)によると、紀元前463年に生まれ、383年、80歳で入滅している。仏教の開祖といわれているが、中田には、仏教の源流といったほうが相応しいように思われる。彼は臨終においてさえ、「仏教」というものを説かなかったと中村元の著書にはある。
「ゴータマ」は氏族名で、固有名詞である。「ブッダ」は、(真理に)目覚めた人という意味の普通名詞であるが、仏教では、「ブッダ」はゴータマ・ブッダ(釈尊)をさす。「釈尊」は釈迦族出身の尊者という意味である。