第一章

今(令和4年)から60年も昔のことであるが、中田には20代の初め、得たいと激しく執着したものがあったが、どうしてもそれを得ることが出来なかった。得たいものを得られないということは苦しいことである。中田は、得ることが出来ないから苦しいのであれば、苦しみから解放される方法はただ一つ、得たいという思いを捨てることだ、という結論に達した。

得たいという思いが無ければ得られないという苦しみも無い。このような因果関係に着目した考えは、お釈迦さま(ゴータマ・ブッダ。釈尊)の中にあったかもしれないということを中田は思い出した。

就職して大きな組織の中で働きだした中田にとって切なかったことは、「係長の指示を受けて同僚と共に仕事に邁進すればそれなりの評価を受けられるだろうと考える者は、人間を知らない青二才にすぎない」と知ったことである。

課長が中田の上司の係長と反りが合わなければ、課長は、反りの合わない係長の部下に意地悪等をするかもしれない。組織においては、上に認められなければ(うだつ)があがらない。小中学生でさえ、同級生の(わる)や教師や親に勇気をだして対処しなければならないらしい。

社会人は組織の中で生きるには、多くのことに少しも気を緩めないで仕事を進めなければならない。「心を乱さずに生きる智慧」というものはある筈である。そう考える時、中田は、又しても、ゴータマ・ブッダに行き着くのである。

その頃の中田は仕事から帰ると食事をするのも忘れて仏教に関する書籍を読みふけった。そんな時間があったから、かろうじて自分は社会人でいられたのだと思う。

ゴータマはそのような智慧をどのように説いたのであろうか。中田の知りたいのは「仏教」という教えではなく、ゴータマその人であった。ゴータマへの思いは中田の中で(いや)増すばかりであった。