河津三郎の死 兄五歳・弟三歳

安元二年(一一七六)十月十日。昼過ぎのことであった。所は伊豆の赤澤山の中腹。一面に生い茂った熊笹をザワザワとかき分けて、必死に道を急ぐ二人の武士があった。身なりは軽装なるも、背に負っているのは、かなりの強弓。顔は緊張に引きつっている。

小藤太(ことうた)、ここか?」

「おお、ここだ。三郎。この三又(みつまた)(しい)の木。この木の後ろに隠れれば、こちらからは狙いやすく、向こうからはこちらの姿が見えぬ。このあたりの猟師は、いつもここに身を隠して獣を射るのだ」

「よし、ここならば屈強の足場……。ぬかるなよ、小藤太」

「言うまでもなし。一たび人の頼みを受けながら、やり遂げずにおめおめと帰るわけにいかぬ。こたびこそは!」

早鐘打つ胸を押さえ、弓握りしめたる二人の前にやがて来たのは、紅葉の錦を踏み分け踏み分け、進み行く人馬の一団。狩りの装いも凛々しく、家臣たちに獣を持たせ、賑やかに笑いつつ近づいてくる。

「おお! 来た!」

「あれだッ。射損じまいぞ……。一の矢は大見(おおみ)小藤太!」

「まった二の矢は八幡(やはた)三郎。いで!」

示し合わせた二人。満月のごとく弓引き絞り、矢叫びの音も鋭く切って放した。

ヒョウッと飛ぶ一本の矢は、狙い過たず馬上の若い武士の胸板を貫いた。若武者はドウッと激しい音と共に落馬。続く二の矢は、その後ろを進む老武士の指をかすめて落ちる。

「チッ! おいぼれを外した! まあ、よい。一人は確実に仕留めた。長居は無用ぞ。逃げろ!」

互いに頷くや、二人の武士はすばやく逃げ去ったのだった。