『生きる』

赤い椅子と黒い丸テーブルが並ぶ窓際の席で、私は茘枝酒(らいちしゅ)を飲んでいた。甘くて怠惰な香りが懐かしい何かを感じさせる。格子窓から提灯(ちょうちん)がどこまでも連なっているのが見え細かい雨が明かりをにじませ、ぼんやりとした輪郭をかたどっていた。

「温かいお飲み物です」

白い陶器の器を店員が音もなく置いた。湯気が立ち上がる。

「お代わりをくださる?」

空のグラスをあげる。

「閉店です」

店員はそう言うと空のグラスを下げていってしまった。

時計を見ると午前一時を回っている。いつの間にか(ほか)の客はいなくなっていた。

白い陶器の器を手のひらで包むと自分がひどく冷えていることに気がつき、ため息が出た。

何もかもがわからなくなっている。

会計を済ませ深緑色の薄手のコートに袖を通す。外に出ると霧状の雨は、しっとりとコートを濡らしていった。雨に濡れることを(いと)わなくなったのはいつからだろうか。黒々としたアスファルトは街灯に照らされ、寂しさを漂わせる。

リビングは荒涼としていたが安全だった。錠剤を二粒飲み、コンタクトと腕時計を外しそのまま毛布にくるまり眠る。

夢の中で佐々が言う。

「本能はもう必要なくなるね」

私はそれを聞いて悲しくなる。私たち本能で繋がっていたんだよね? 佐々は感じることをやめてしまうの? 私は言葉にして言おうとするのだけれどもうまく吐き出せずにいる。もう何日もこんな具合なのだ。これは夢ではなく現実で私は一人取り残されている。