Ⅲ フォトグラファー
こうして僕はタクシーというものに初めて乗った。まるで連行される犯罪者のように気まずかっただろう。しかし、僕の記憶にはウキウキした感情だけが残っている。駐在さんの顔は覚えていない。真っ暗な空。表通りは家路を急ぐ車のヘッドライトで眩しかった。この小学生は「メロンパンありがとう」と、駐在さんに礼の一言も言えなかっただろうなあ。
迎えの母と駐在所を出た、まさにそのときの風景が、強烈に僕の網膜に焼きついているんだ。いまだに。クラクションを鳴らしながら通り過ぎる車列。迎えのタクシーの後部ドアは開かれ、運転手さんはすでに自転車を後部座席に載せている。街路樹に風が舞い上がり落ち葉が降り注ぐが、音も聴こえず、すべての風景が止まっているんだ。まるでストップモーション。
そのシーンには、街の雑音もない。ただ落ち葉のざわめきだけが耳に残る真空地帯。その光景が、小学2年生の網膜にプリントされたわけだ。開かれたままの車のドア、歩道縁石の段差、後部座席に収まっている自転車。走り去る車のテールライトの軌跡。不安もなく身体が浮遊しているような不思議な感覚を味わう。
僕は驚いた。
「なんか不思議。きれいだ」
でも、何も動いていない風景に驚くよりも、ほっと一安心し、緊張もゆるみ、あの瞬間に幸せ感がこみ上げていた。象徴的な数秒間だけ風景は止まるんだ。この景色を記憶に刻み込むために神が仕組んだのだろうか。
階下のカフェからも調達して、なんとか人数分の椅子は確保できたが、さすがに10人以上も集まると、スタジオも狭く感じる。アール・ヌーボー調で背もたれに蔦が絡まったような彫刻が施された、実用性をまったく感じない椅子。やたらと重い猫足椅子。アクリル製でスケルトンの椅子。猫耳を模した銅板製の背もたれ椅子。
思い思いの椅子をスタジオの片隅から持ち寄り、研究会をここで開催できる幸せを、一番噛みしめているのは僕にほかならない。
スタジオの外は、あのときのように車の通りが激しくなっている。1階のカフェも照明は落ちているが、2階のスタジオからステンドグラスの窓越しに暖色の明かりがこぼれ落ちる。