序章
明治二十一年(西暦一八八八年)十月
会議のさなか、懇親会が迎賓館で開かれ、その帰り道でのことだった。
「松本良順はどうしている?」と、ポンペが森に質問してきたという。
良順は長崎時代、ポンペの一番弟子だった。江戸に戻ると、幕府医学所頭取を拝命し、十四代将軍徳川家茂の主治医となった。第二次長州征伐では、大坂城で家茂の陣中死を看取るなど、日本を代表する名医として知られていた。
「松本良順先生といえば、京都にもいたことがあったな。新選組局長の近藤勇とも交友があったと聞いているが……」
大御門が当時を振り返りながら言った。
「そうそう。新選組の隊士の診察も行っていたらしいな」
万条も記憶が蘇ってきた。幕末に新選組と称する武装集団が、水色の法被を着て市中を我が物顔で歩いていたのを、京都人はみな眉をひそめながら見ていたのだ。
戊辰戦争が始まると、松本良順は会津藩の軍医となった。だが会津での敗戦とともに、仙台で降伏する。やがて赦免され、明治四年からは新政府に出仕したが、良順はそのわずか二年後に、陸軍初代軍医総監にまで上りつめたとのことだった。
「でも良順先生は、明治十八年五月に軍医総監を辞職されて、今は悠々自適の生活をされていると聞いているが……」
万条が森に確かめた。
それには、大御門が代わりに答えてくれた。
「今も息災にされていて、日本各地を旅しておられるそうだ。近々、貴族院議員になられるらしいな」
そのとき、森が驚いた顔で言った。
「へえ……、貴族院ですか。僕はドイツにいたので、全然知りませんでした」
だがすぐに話を戻し、ポンペとの邂逅譚の続きを語った。