そこで、ご主人は、それらの骨董店に電話をかけてアポイントをとり、休みの日に耳付き盃を持って骨董屋巡りをしたそうだ。すると、それらの骨董店が異口同音に言ったことは、「間違いなく今から約二千五百年前の中国春秋時代に作られた『耳付き盃』です。本物です」という言葉だった。
「但し……」
その後に続けられる言葉も異口同音に、
「中国のその当時の陶磁器は、日本では考古学的な価値は認められていますが、美術品としての価値は認められていないのです。ですので、日本の骨董店で購入してもせいぜい五万円ぐらいです」という言葉だった。
「!!!!!」
ご主人は、再度絶句して驚いたそうだ。ご主人にとっては考古学的価値とか美術的価値ということは、どうでもよかった。
〈あの世界の聖人の一人である孔子先生と同時代の盃が自分の家にあるのか!〉という大きな感動がムクムクと入道雲のように心の中に湧き上がってきた。
それで、自宅に戻って、再度日本酒を耳付き盃に注いで飲んでみると、実に美味い! 孔子と同時代の人もこの盃に酒を飲んで酔いが回ったのかと想像するだけで魂たましいが宙を舞い、一気に二千五百年前にいるような錯覚に陥ったそうだ。
その翌日、吾輩がノソノソと和室に歩いていくと、ご主人は炬燵に入って日本酒の熱燗をその耳付き盃に注いで晩酌をしていた。そして、ほろ酔い加減のいい気分にでき上がったようで、吾輩に向かって
「マックス! 論語の『少年老い易く学成り難し!』『巧言令色鮮し仁!(巧みな言葉を用い、表情をとりつくろって人に気に入られようとする人物は、仁の心が欠けている)』という格言を知っているか!?」
と質問してきた。
犬がそんな難しい格言を知っているわけがない。世界の四大聖人である孔子先生も自分の死後二千五百年経って、隣の倭国・日本にいる中学校の英語教師が自分の生きていた春秋時代の盃で日本酒の熱燗を飲みながら論語の一節を犬に向かって質問するなんて夢にも思ってもみなかっただろう。実に傑作である。
さて、ご主人がそうこうして数日間耳付き盃に酒を注いで飲んでいると、ふと一つのことを思い出した。
〈あれ? 待てよ。確か近所に開店した骨董店のショーウインドウには今から約二千年前、中国の漢時代に作られて緑色の釉薬が銀化してハレーションを起こし、怪しげな光彩を放っている渋い緑色の香炉も三万円で売っていたな~。この耳付き盃が本物ということは、あれも本物ではないのか?〉