第三章
この頃は、健太も看護師の中ではベテランと呼ばれる年代になっていた。新人の教育係が大変なのは、どの職種も同じようだった。
――そろそろ、今後のことを考えた方がいいんだろうか。私が三十五歳、健太が三十二歳。子供を授かることを考えるなら、結婚するという選択肢をとっただろう。でも、私は子供がほしくなかった。小児科医として、未来ある子供たちを救うことはとてもやりがいがあったし、彼らが笑顔で退院してゆくのを見るのは本心から嬉しかった。
ただし、それとこれとは別。年頃の女性は、結婚の有無と子供の有無を基準に存在価値が判断されるというような世間の風潮が確かにあると私は思う。それが、ものすごく嫌だった。両親に感謝するとしたら、産み育ててくれたことと、結婚へのプレッシャーを全くかけてこなかったこと。高校時代の事件を引きずっているところもあったのだろうけれど。
多分、私より親の方が、心の傷が大きい。個人的には、結婚も出産もその人が選んでするのだから、それを以て偉いとかそうでないとかを言うこと自体がナンセンスだと思っていた。無論、人類を存続させるためには、二人の人間が対になるのなら、二人の子孫を残さなければ計算が合わない。でもそれは、義務感によってだけ、成り立つことではない。
一人の人格を育てるということは、それなりの覚悟と準備がいる。それをできる人間が、すればいいと思っていた。
私は精神的に幼く、自分のことばかりを考えてきたから、子供に十分愛情を注げないだろうと感じていた。仕事で色々な子供やその親と関わって、経済的な問題、未熟な親による虐待……そういったことで育児への困難を抱える家庭をたくさん見てきた。そういう家庭に育つ子供はかわいそうだと私は思う。だから、私はあえて結婚しない、子供を作らないという選択肢を取っていた。
けれど、子供がいることを自慢に思っている女医は実際に結構多くて、私みたいな女医にマウンティングしてくる感じが、少なからずあった。子供を産んでいないんだから、自由でいいわよね、みたいな。
――うるさいなぁ。じゃあ、産まずに自由に生きていればよかったのに。あんたが自分で選んだ人生なんだから、それでいいじゃん。なんで、他人と比べようとするの。私は私で、悩んで納得して、自分の人生を生きているんだから、放っといてよ。私の中に、土足で踏み込んでこないで。あぁ、面倒くさい!
いつも心の中で叫びながら、言い返さずに笑顔でやり過ごしていた。健太と言い合ったり険悪なムードになったりするのは嫌だったから、彼がそのあたりの話題に言及しないのが、幸いだった。