第三章
職場を出て、自転車で潮風を切って走る。線路沿いに走ると、途中から店に着くまで緩い上り坂になるが、ちょうど風が気持ちいい気候だった。道の端には桜の花びらが重なっていて、道沿いの桜はほとんど葉桜になっていた。店の前に自転車を停め、キャップを被り直してドアを引く。
「おっ、真希ちゃん。久しぶり。元気だった?」
シェイカーを振りながら、マスターが視線と声をこちらへ向けた。
「うん。ごめん、久しぶりになっちゃって」
「そんなこと、気にしなくていいんだよ」
カクテルをグラスに注ぎながら、視線で私をカウンターへ案内してくれる。やっぱり、マスターの雰囲気って、落ち着く。
「優しいねぇ、相変わらず。で、お隣さんは?」
長身の美しい女性がマスターの隣に立っていた。
「今月から入ってもらっている、安奈ちゃん」
「矢野安奈と言います。はじめまして、真希ちゃん」
真っ白な肌に、二重の大きな瞳。鼻筋もスッと通っていて、モデルみたいだった。ベストにネクタイを締め、黒髪をきっちりまとめている。一瞬、既視感を覚えたけれど、有名人か誰かと混同しているのかなと思った。
「綺麗な人ー。マスター、よかったね。よろしくお願いします。えっと、安奈さんでいいのかな」
「うん。そう呼んでくれたら嬉しい」
週末だったのもあり、マスターはカウンターとボックス席を行き来して忙しそうにしていた。ボックス席に見知った男性の常連客がいて、目が合うと手を振ってくれたので、私も振り返す。安奈さんは注文された酒を作ってはマスターに渡しながら、私の愚痴に付き合ってくれた。