有限的人生を自覚する

人間は自分の人生が、まだまだ続くと思って生活しています。人は人生でそれぞれ解決すべきテーマを宿命的に持っています。例えば子供の時に母親の愛が十分与えられないと、不安で落ち着かない、満ち足りない性格になって大人になっても愛を必死に求めます。残された時間があると思っていると、それが満たされる機会があっても見過ごしてしまいます。

ところが、残される時間が少ないと感じると、その機会を逃すことなく行動を起こすことができます。

先述したことですが、Aさんが母親代わりに愛を与えてくれるMさんに駆け寄ったという出来事がありました。こういう出会いを起こすようにAさんに決断させる力が、ナイスデイの共同体に存在していると思いました。死が近く感じられるので、火事場で馬鹿力を出すような感じで、潜在していたマグマが形となって表れてくるような現象が起こります。

自分の人生劇の幕切れが近いと感じられるので、世間体などで抑えられていたものが爆発してくるように、残ったテーマを演じ切ろうと思うようです。

人間関係上のナイスデイ

人間には不思議な本能があります。オーラとか迫力とかいう言葉があります。こういうオーラなどは、目に見えないもので、ただ感じるだけのものです。うつ病や認知症になった人は、元気な人の人間的な迫力に押されるので、とても敏感になっておられます。一方、要介護状態の者同士ではこの圧迫感は感じないので、安心されます。だから仲間を作ることができるのです。

人は(特に日本人は)仲間と共にいることで安心感を持ち元気が出るものです。この意味でも、デイケアの集まりはとても深い人間的結びつきを得ることができるのではないでしょうか。デイでは、認知症の人も安心して自分をとり戻すことができるようになると思われます。安心してリハビリに励み、楽しく競うことができると思います。

もう一方のTCでは似た者同士としても、互いに親和性を感じることはかなり難しいことではないでしょうか。

一方、スタッフにとってのナイスデイはどうかというと、ナイスデイは死に近き人々の集う特殊な職場です。死に近い人は最も生に近い人ともいわれる特殊な世界です。この世の価値観から離れ、嫉妬や妬みに満ちた俗世間から離れることになり、解放され自由になります。そして共同体がさらに盛り上がり維持される方向へとコミュニティを育てようという衝動に駆られます。

スタッフも無意識的に共鳴し、その共同体の求めに応じて働くことに喜びを感じさせてもらっているようです。深い静けさと活発さを持つ不思議なコミュニティが形成されているということです。利用者さまは実存的に変貌されており、癒しの共同体を形成されています。

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