第2章 ナイスデイへの歩み
TCと根源的共同存在(救いの共同体)との違い
救いの共同体のコミュニィティのメンバー一人一人は、高齢や、病のため日に日に体が弱っていき、死が近づいてくるのを実感しておられるのです。その不安の中にいて、死が近づくのを感じる気持ちはとても強いと考えられます。ハイデガーはこの不安こそ本来的存在へと実存変貌を遂げる大切な情態性であると書いています。
さらにデイの仲間が一人、二人と亡くなっていかれることを知らされるので、やがてやってくる死をとても身近に感じるようになっておられます。さらに、もう一つの違いがあります。要介護の人たちと、健常な人たちは違っています。前者はリハビリという共通の強い目的がありますが、後者の健康な人たちは今何をするか、しなくてはいけないかなど決まった目的はありません。
従って集まっても行動を通じての仲間意識はあまり働きません。一方の要介護者の方は障害を抱えておられるので、それを克服するために広い意味でリハビリをするという目標があります。同じ目的を持った人が集まると、競い合い力が出るのが、人間というものです。
まして死に近い存在を意識されているので、自分だけだと怠けてしまう事態でも、頑張ることができるようになるのないでしょうか。
こうして死に近い立場に立って不安を抱えた人々が共に集うと、救いの共同体が形成される可能性が生まれ、そして長く維持できるのではないでしょうか。逆に元気な人たちが集まっているデイでは、このようなことは起こらないで、通俗的な価値観が支配的になり、妬ねたみや、嫉そねみがどうしても生まれてしまいます。だから救いの共同体の形成は困難になると考えられます。