十六

意識を束ね、長い間忘れていた記憶が惰性的に蘇ったりあるいは埒もない時の夢を打破して現実の記憶に悪びれて着床させてしまう。たとえばある日など修作は声にこそ出さないが心の内では、こんなことをしていていいのか、ふと自分でやっていることがわからなくなり、ああ、という嘆息を心のなかでもらし、空っぽの問いがもたげてくる。

粘りつく昼下がりにラジカルな視線を相変わらず交わしすれちがう。すべては衆生の集まりだと街を眺める。桜もだいぶ散ってどこからきたのか舗装路の端にふきだまっている。 花冷えの哀しき匂いにちがいない。ふきだまった花弁のひとひらひとひらまでが衆生に思えてくる。

冷たい雨が花を散らすことにまるごと楽しんでいるかと思うと、別の日には修作は汗ばむ暑さに小屋に上着をあわてて脱ぎにかからなければならなくなる。今はそんな季節だ。季節の変わり目、変化の時は人間もまた体調の変化、変わり目に注意しなければならないとはよく聞くことだ。植物ひとつみても日一日と刻々変化をしていく。

わずかな小さなスペースを見つけて子孫繁栄を淡々と繰り返し、少しも手を抜かない。植物にかぎらず小さな生物たちを見ていると本来人間もこうした子孫繁栄に精を出す生き物だったはずだが。

十七

過去の記憶、出来事、皆幻のよう、過ぎたこともこれからはじまる未来もまた、幻想のなかに漂白した、屍のごとき、乾いた白い光。あなたには雅やかなこの怪人も、たおやかな旋律に戦慄し、陶酔すらしている。深い深い音のなかにひきずりこまれたロビンソンの苦しみ。

遠く離れた場所に移動した旋律が、また思いも寄らない時に、宇宙の果てから耳元にやさしく微笑む。狂気に満ちて、光満ちて、原子のそのなかに宿した光満ちて、その横溢に散らばる原子の子ら。

吾のすべての細胞の子に捧ぐ、芳しき旋律。