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「無為」「退屈」……人間はこんな贅沢を手にしながら、「所在ない」「面倒くさい」といった不平や文句を言うのは、もっての外と言わざるを得ない。無為・退屈というニュアンスの少し異なる言葉を発せられること自体が、生き物として飢餓から解放されたことを証明する贅沢であることに、まるで気付いていないようだ。
おい! 食べ物摂取と生殖と安全な睡眠のすべてを取ることができながら、格好をつけている場合ではないぞ。
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我々は人類繁栄話ばかりに慣れ親しんでおり、それも楽しいが、一瞬で終わる人類滅亡譚も、結構いけるのではないだろうか。ただその場合、人間終末論や地球終末論を、めんどくさい文学者や物書きに語らせたくない。ぱあっと一瞬、トコトン明るく、即物的に終わるのを仲間で迎える方が性に合っている。
水の星地球の頂点に君臨する生き物が滅ぶとしても、隕石由来でないとすれば、自ら引き起こした気象を含む生存環境の悪化と激変に対応できなくなり、ある日絶滅するというストーリーである。身から出た錆、自業自得として、あり得ない話ではないし、人類史としては致し方ない。
そのときは、死んだら死にっ切り、滅んだら滅んだっ切り、あっけらかんといきたいものである。地球すらも数ある星の一つに過ぎなく、この星に生きる生き物を道連れにして星自体もいずれ消滅する。
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星の寿命の半分を終えた地球という惑星にとって、ホモサピエンスという生き物は今後必要とされているのだろうか? 一方、地球時計という物差しがある。ホモサピエンスによって汚され続けた星の命運はどんどん縮まり、ついに終末まで残り数秒だとのことである。
ホモサピエンス以外の生き物にとって、この傍若無人な住人は鼻つまみの迷惑者であり、存在しない方が地球の余命は間違いなく延びるというのは、何ともつらい。
ある日、かつての恐竜と同じくホモサピエンスが絶滅しても、この星は何か困ることがあるのだろうか。明確に「NO!」と言えるのが残念である。汚しの張本人の絶滅は、他の動物・植物にとっては、口で表現できないものの大歓迎のはずである。
驕れる者久しからず、ホモサピエンスが作った鉄とコンクリートの残骸も、1000年、2000年も経過すれば、太陽光と風雨でその形跡すらなくなるであろう。仮に90億年の命運から見て、ホモサピエンスが誕生し消え去ったのがほんの一瞬だったとしたら、正に一睡の夢、めでたしめでたしと言うべきであろうか。