【前回の記事を読む】「ありがとう」の反対語は「ごめんなさい」ではない理由

第1章  思い通りの人生をデザインするための「人間力」

世の中は対人間?

そうだ、“ありがとう”の反対語が“あたりまえ”だとしたら、これほど興味深い話もない。この時点で変人ポーの言わんとしていることが想像はできかけていたが、ボクは変人ポーの言葉を待った。

「昨日父さんが言っていた、便利になればなるほど失われていくもの……それが“ありがとう”だよ。世の中便利になればなるほど”あたりまえ”が増えていき、その分、“ありがとう”が減っていく。そうしたらどうなるか、わかるかい?」

「わかった! 父さんは感謝の気持ちを忘れたら人間おしまいだと言っていた。そうでしょ?」

「いや、いきなりおしまいにはならないよ。”あたりまえ”が増えて”ありがとう”がなくなっていけば、人間らしさが失われていくものなんだ。人間味と言って良い」

「人間味? 人の温かみみたいなことかな?」

「そうだよ。例えば、バンコクの人とプーケットでもこのような島の人だったら、どっちが人として温かいと思う?」

「それは間違いなくプーケットだね」

今回はプーケットの離島ラチャヤイ島に来ていた。プーケット県内では一番美しいと言われるビーチがあり、特に人気のリゾートである。

「人の温かみという表現以外では、他に違いは何かあるかな?」

「もちろん人にもよるんだけど、全体的にプーケットの人はのんびりしていて穏やかで、優しい人ばかりだと思うよ」

ボクがそう答えるのを、変人ポーはニコニコして聞いている。こんなときは大抵ボクが、変人ポーの思っていた通りのことを言っているときのように思える。気にせずにボクは続けた。

「少なくともバンコクのほうが嫌な思いをすることは絶対に多い気がする。明らかに違うから、これは自信があるよ」

「ふふ。これには答えなんてないけど、つまりはそういうことだ。日本に行けばもっとわかりやすく感じるよ」

「東京とそれ以外の田舎でってこと?」

「いや、東京に限らずに要は都会と田舎の違いだ。日本だけじゃなくて世界的に言えることだよ。たしかに都会であればあるほどそうなので、日本の場合はやっぱり東京がよく言われているけどね。『東京の人間は人として冷たい』って。一方、東京の人は田舎の人を人情味に溢れてるという」

「そうか、都会では”ありがとう”が減ってきているから人間が冷たく感じ、田舎では”ありがとう”が残っているから人情味に溢れていると感じるんだ」

「その通りだ。都会では暮らしぶりがどんどん便利になって”ありがとう”が減り、その代わりに”あたりまえ”が増えている。つまり、”有り難い”が”あたりまえ”に変わっているんだ。いまのテクノロジーの進歩は人類史上初の発展を遂げつつ、且つ進行していて人間の欲はこれからも留まることはないだろう。こう言うとテクノロジーの進歩がいけないことのように聞こえるかもしれないけどそういうことではないし、いまはそういう話でもない。いくらここで我々が何をどう話したところで、世界の裏側で天才たちが今日もテクノロジーの開発をしているんだ。例えばAIとかのね」