二代目瀬川菊之丞
羽左衛門の見世が儲かってきて、暫くした頃だった。
「こりゃ、お仕事中にお邪魔しますが、若様、うちの旦那がお会いしたいと」
二代目瀬川菊之丞の番頭の権兵衛が、羽左衛門の見世にいる松七郎を訪ねてきた。
「え、兄さんが?」
(羽左衛門の見世が儲かってきた)
その噂を聞き付けたのが王子路考こと、二代目瀬川菊之丞である。
「これからいかがで?」
茶の縞の模様の着物を着ている権兵衛が聞いた。
「よござんすよ」
松七郎は明るく答えた。
菊之丞の家は市村座の楽屋の向かいにある、楽屋新道の小さな路地、堺町新道という、その突き当たりに玄関があった。
贅を尽くした家の造りで、さすがに二代目瀬川菊之丞の家だといわれた。
「おや、若様。旦那がお待ちかねですよ。ええ、奥で」
首の細い、女中のお糸が勝手口の暖簾を上げて、嬉しそうに声をかけた。
良く磨かれた黒い一枚板の廊下の突き当たりが菊之丞の居間である。
黒の銘木と思われる床柱があって、二代目菊之丞が座っていた。
菊之丞は美しい物に囲まれていなければ、美しくなれないと考えていて、普請には金をかけた。
「おい若。聞いたぞ、菊屋のこと!」
菊之丞は大きな声で言った。
「はあ」
「俺の見世も手伝え!」
見世とは、初代の瀬川菊之丞が作った、人形町通りの油見世のことである。
「はあ、でも兄さんの見世は儲かってんで御座いましょ?」
松七郎は、何とも言えず美しい菊之丞の顔を立ったまま見ながら、聞いた。
「おう、少しだが儲かってる。少しだがナ。まあ座れ!」
菊之丞は気位が高い。松七郎は菊之丞の斜め前に座った。
「儲かってれば、それで良いでは御座いませんか」
松七郎は、ゆっくりと、出された茶を飲んだ。
「それよ。いいか若。俺は何でも、一番じゃなければ駄目なンだ。お前、俺のことは分かってンだろ。少しじゃ駄目だ!」
松七郎は、相変わらず路考兄さんは我儘で負けず嫌いだなと思った。
「だけど」
松七郎は口籠った。
「いいから、手伝えよ! 今より儲かったら、儲かった分の半分は、お前にやる!」
菊之丞は命令口調で言った。
「半分だぞ!」
二代目瀬川菊之丞は松七郎より十歳くらい年上だった。
母親同士が友達で、二人は兄弟のように育った。松七郎は兄のような菊之丞には逆らうことはできなかった。
二代目瀬川菊之丞の父、初代は一代で瀬川菊之丞の名を大名跡にした名優である。京都の出で、大坂、江戸、三都でその名も高い名女形であった。初代菊之丞は京都生まれをうまく利用した。
当時の江戸の人々は、
「女が美しいのは京都」
と誰もが思っていたからである。