磯部さんは翌日から働き始めた。鳩山さんのように料理はできないけども、ホステスの飯田マリさんの指示の元、お客様の接待、ワインの選択、食材会社への電話、予約の受付などを手がけることに決まった。料理は私と笹田さんと、下ごしらえの田原洋子さん、鈴木君だけでこなしていかなければいけない。

磯部さんの背広姿を初めて見たが、なかなかお洒落でレストランに似合っていた。以前の職業は大手の貿易会社だったそうで、道理でワインに詳しいはずだった。海外部門の仕入れ課長だったそうだ。英語もできるそうで、ロスに5年の滞在経験もあるんだって。私は娘さんがいる以外は何も知らなかった。

マリさんはキビキビとした話し方をする美人の50歳くらいの人で、鳩山さんと同い年くらいだ。以前はもっと大きなレストランの総支配人をしていた。稲穂さんの奥様のいとこだということだ。

今週は磯部さんは早番の週で、私は遅番。どちらにしても調理場は14日間、私が総責任者になる。卵に関しては悪化している。ゴミ出しの時に潰しているペットボトルを潰すことさえ不可能になってしまった。

雄二が飲み終えたビールの空き缶をグシャと潰した時は恐怖で叫んでしまい、雄二がびっくりした。お父さんはほとんど日常には差し支えないくらいになっているが、魚網の修理などはまだできない模様だ。鳩山さんがパリに行く前の週の日曜日にお母さんの誕生会に、招待されている。半蔵門は会社が休みだと人出も減るので、週末はレストラン定休。それに週末はオーナーも競馬で忙しい。

雄二のお母さんは60の還暦で、ご近所さんまで呼び、盛大にお誕生会をすることにあいなった。築地の寿司屋が寿司持って参加する上、酒屋、肉屋、魚屋皆持ち寄り。町内会の祭りのような雰囲気である。雄二の狭い家の家具を寄せるのに私と雄二と妹の舞ちゃんは朝から忙しい。

お嫁に行った雄二のお姉さんは台所でこれもまたお誕生日のお母さんと忙しく料理にかかりきっている。お父さんとお姉さんの旦那は孫のお守りしながらすでにチビチビと飲んでいる。どこからか磯の香りが漂ってくる、秋晴れの清々しい日である。

私は雄二に頼まれてワインと花を持ってきた。花束は外に隠してある。ワインどころか私はシャンペンまで奮発してしまった。グラスもワインオープナーも調達してきた。雄二のお母さんの高校時代のお友達はもちろん全員還暦。あとは銀行の仲間と町内のご夫婦連れで、予定は30名くらいらしい。二つの日本間をぶち抜いて長いちゃぶ台を3つ並べたが全員座れるかどうか。

3歳の孫の拓磨君がちゃぶ台に乗って怒られている。ひと段落した雄二のお姉さんの友香さんが、二階に連れて行った。雄二が

「俺、ケーキ取りに行ってくるわ」

と言ったときは祝い客がそろそろ来始めた頃であった。大きな寿司桶が二つも届いた。酒屋の飯田さんが生ビールを樽ごと持ってきて縁側に設置している。氷の中に浸かっている。部屋の隅に一升瓶が並んでいる。

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