函館空港に到着しタクシーで病院へ直行し、わこちゃんとご主人に迎えられ集中治療室へ案内されました。

そこにはいろいろな管に繋がれ呼吸をしているだけの父親が横になっており、脇のモニターからは規則正しい機械音が波形とともに鳴っていました。すごく冷たい音に聞こえました。

その後医者の説明を受けましたが、脳のレントゲン写真は真っ黒で心臓だけが動いてる状況でいわゆる脳死で生存見込みなく時間の問題ですと言われました。とても分かりやすくはっきりと状況確認ができました。父親はどこにも傷も無く穏やかな表情で眠っているように思えます。しかし既に死んでしまったんです。

しばらく病院内で寝どまりすることになりました。集中治療室では心臓の動きを示す音とモニターに映し出された波形だけが規則正しく動いており、まだ生きていることを証明していました。

父親は毎日家の近くの五稜郭公園への散歩を日課にしており、その日もいつもと同じ時間に家を出て、五稜郭公園までの唯一の交差点を青信号で横断歩道を渡ってる時に免許取り立ての二十歳若者の車に跳ねられたのでした。

一秒でも早ければ……一秒でも遅ければ……。その跳ねた若者と父親が病室に入ってきて、土下座し謝罪をしに来ましたが私は「良いから帰ってください」と静かに帰ってもらいました。

今更何を言われても、謝罪されても帰らぬ命です。それから三日間心臓は動き続けました。随分強い心臓だなぁ!

そんなに頑張んなくて良いよ! さすがに疲れたのかな。四日目の朝、静かにその心臓は動かなくなりました。

享年七十四歳。この時人生ははかないものだと、そして生前父親が「悔いのない人生を送りなさい」と言った言葉がずっと私の心根にあります。