2泊3日の物語り

大層信心深い、先祖を大切にする家に私は育った。8月のお盆は、大切な行事である。

13日はご先祖様のお帰りだ。迎え火を焚く。

私はお団子を作るのが仕事で、白玉にお砂糖をかけてご仏前にお供えする。

母は迎え火の方向で「今日は山から歩いてきなさった」、「今日は電車に揺られて来なさった」などと呟やく。8月13日から15日まで我が家は慌ただしい。

精進料理は野菜の天ぷら、胡麻豆腐、酢の物にがんもどきの煮物……御膳にして仏様に供える。肉や魚を口にする事はない。

父が亡くなってある時の朝食は、トーストと珈琲だった時もある。

また母は、「餓鬼(ガキ)さまにも上げてちょうだい」と言い、私は小さな器で食事をあげた。

15日になると母は焦る。早くご飯を上げて送ってあげないと、仏様が暗い道に迷うと言う。

15日の送り団子は、ひょろ長くしてきな粉をかけた。

送り火の時の風は少し寂しい。思い出の情景の中には、不思議と雨の日はない。火を焚くと風が、西や東に向かう。その風を見ながら母が何か言っている。仏様行っちゃったと、私は数日を共にした先祖に、心で小さく手を振った。それから母がお経を上げる。

「お経位は覚えなさい」は母の口癖だった。

次に大きい藁の中にに果物や好物、ご飯を詰め込む。藁はパンパンだ。両端をしっかり結んで肩から持ち易いように紐をつける。それを葬儀場まで持っていく。

慌ただしい15日。

それからお膳を洗い、3日のお盆は終わるのだ。

今年のお盆は、激しい雨と冷たい風だった。私はベランダのテーブルに小さなキャンドルと、椅子の下には線香を付けた。

雨だったのでキャンドルも線香も消えそうになった。

夜になると一人、ベランダに出た。やはり父と母と一緒に居るように感じる。

辛い事があり過ぎるその頃の私は、風でちらちらと揺れるキャンドルの灯し火を見つめていると、母が傍で頷きながら話を聞いてくれる様な気がした。

15日には私もお別れだ。キャンドルの炎が帰りたくないとリビングの方を向く。何時間も雨宿りしていた父母。帰ったのは11時を過ぎていた。

私の2泊3日の父母との旅行は終わった。

母の葬儀には、母の好きな歌「月の砂漠」を流した。悲しい時に、お風呂の中では「この道はいつか来た道 ああ そうだよ あかしやの花が咲いてる」と北原白秋を歌った。母、享年80歳。

父は、最後は人工透析患者になった。透析はしなくても、ゆっくり治療をすれば治るのに。そして、最期は急性心不全で呆気なく逝った。父、享年62才。

母は、肺気腫になり、好きな絵を描く事もできなくなってしまった。

父は、終いには「愉しみはタバコしかない」と言い、透析に行く前には、「もう、いいか」と言いながら、やかんの先に口を付け水を飲んだ。

神は何故、父と母を苦しめ続けたのだろう。

お盆になると、善良で賢い父と蒸留水の様な美しい母が、2人でやって来る。この2泊3日の滞在を、私が喜ばない筈はないのだった。

お母さんがベランダから、僕に優しく手を振ってたよ。
その顔はすごく優しくて幸せそうだった。