【前回の記事を読む】「お母さんの目が見えなくなったら僕がサリヴァン先生になってあげる」

教え

母は「綺麗な人になる為には汚い所を掃除しなさい」と言った。

そして私はトイレの掃除をした。

「ため息は本当に辛い時につきなさい」

母のこの言葉からか、私は本当にため息をつかない。

本当に疲れた時は声も出ない。

「食べれないと思う物は最初から手をつけない事。食べるのなら最後まできちんと食べなさい」

私は長女がお腹に入っていた時、つわりが長く何も食べれない日々が続いた。やっと行ったレストランで頼んだナポリタンは、ほぼ食べる事が出来なかった。コックさんがやって来て「お口に合いませんでしたか」と言われた時には、本当に申し訳ない気持ちだった。

「絶対に死んではだめ」

この言葉をいつ、どのタイミングで言われたのだろう。子供の頃は、口喧嘩はよくしたが、私は、母に弱音を吐いた事がない。嫁いで母と電話で話をしていた時、私の声が沈んでいたのだろう、母から「元気がないわね、何かあったの」と尋ねられた。母に訳を話すと、母は悲しい声で「それじゃ、ママと一緒じゃない」と大変嘆いた。

母を悲しませるのは嫌だった。それ以降二度と、私は母に自分の事情を話した事はない。代わりに、母が悔やんだり寂しい話は聞いてあげた。私が近くに居たら力になれるのに、と嫁いだ土地が遠い事が、本当に歯痒い気持ちだった。母がどんな気持ちで死んではだめだと言ったのか……私が40代だった時か……この結論に至る迄に母は、どんな経験をしたのだろう。

母は実際死のうとしたのだろうか……。

母の苦労は私なりによくわかっていたつもりだが。

母の言葉は、深く私の心に刺さっている。