【前回の記事を読む】天然痘、ハシカ(麻疹)、黄熱病…人類はどのように伝染病を解明したのか?
ウイルスの発見
(1)正体不明の濾過性病原体
1898年には、ドイツの細菌学者レフレルとフロッシュが、口蹄疫にかかった牛の患部のひずめから膿汁を採取して細菌濾過器にかけ、その病原菌の有無を丹念に調べたが、細菌はまったく見つかりませんでした。ところが濾過器を通った濾液を健康な牛のひづめに注入してみたところ、驚いたことに牛は口蹄疫にかかったのです。
彼は、イワノフスキーのタバコモザイク病の研究で、同じようなことを発表していたので、パスツールが予言したように、細菌より小さく濾過器を通すほどの病原体がいるだろうと考え、濾液を高倍率の顕微鏡で調べ、さらに、遠心分離器にかけて病原体の分離を試みたのですが、当時の光学顕微鏡や検査機器では、何も確認することができませんでした。
病原体の実体不明のまま「口蹄疫病やタバコモザイク病のような病原体は、濾過器をも通過する極めて微細な生物である」と学会誌に発表し、タバコモザイク病や口蹄疫病などのように濾過器を通る超微細な病原体を濾過性病原体と名づけました。
1917年に、フランスの細菌学者デレルが赤痢菌を培養し研究していたところ、この培養液の中に赤痢菌が溶けてなくなる現象が起こったのです。不思議に思ったデレルは、培養液を細菌濾過器を通した濾液を別の赤痢菌の培養器に入れてみたところ、同じように赤痢菌が溶けてなくなったのです。彼は、濾過器を通過し顕微鏡でも見えないが、赤痢菌を食い殺す姿なき濾過性病原体がいるとみて、バクテリアを食うという意味のバクテリオファージと名づけて発表しました。
当時、このデレルの研究から、細菌を殺すバクテリオファージの入っている濾液には、他の細菌も殺す効果があるだろうと考え、伝染病治療に使えると研究者の注目を集めました。この濾液をもらって、他の病原菌の培養器に加えて実験を試みたのですが赤痢菌以外の細菌を殺す効果がなく、他の病気の治療薬には使えなかったのです。
1918年5月に、スペインのマドリードで悪性の風邪が発生して、たちまち世界中に感染拡大して、この年から1922年かけて4年間もの間大流行しました。この悪性風邪は、発生地スペインの名をつけてスペイン風邪と名づけられ、多くの研究者がこの風邪の菌を調べようとしましたが、細菌濾過器でも捕らえられず、顕微鏡でも確認することができないので、スペイン風邪は、正体不明のまま悪性濾過性病原体と発表されました。
このスペイン風邪が流行した1918年11月に、第一次世界大戦が終結したので、多数の兵士が戦場から母国に帰還してこの病源体を持ち込んだために世界各地に蔓延したのです。このスペイン風邪は、感染力が極めて強く各地でパンデミックを起こして、多数の肺炎などの呼吸気管の重篤な症状の患者を生じさせ、驚くほどの死者がでました。
当時はスペイン風邪のワクチンや特効薬は開発されず、対症療法だけしかできないために、世界中では、これまでにない2500万人もの膨大な死者を出し、スペイン風邪というこの見えざる敵が世界各地の人々を恐怖におとしいれ、世界の歴史に残る流行病になりました。日本でも大正時代の1920年頃をピークに多くの人が罹患し、40万もの人が亡くなったと記録されています。