さて、話を元に戻して、令和二年の資本主義社会の日本において、どんなに有名大学、難関大学を卒業しても、その後社会人となって心が折れ、自殺するとか家の中での引きこもりになっては元も子もない。ということは、人間が成長していく上で、多くの知識を得ることだけに偏らず、「折れない心」を育てること、「心が折れないで辛さを和やわらげたり辛さを忘れる心の技術・テクニック」を身につけることも重要視されなければならない気がする。
「折れない心」は、どうやったら育つのだろうか?
一九六四年の東京オリンピックのマラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉氏だって後に「幸吉は、もうすっかり疲れきってしまって走れません」と遺書に綴って自殺した。バスケットボールの強豪校大阪市立桜宮高校の生徒も教師からの叱責、体罰を受けて自殺した。となると、スポーツをすれば「折れない心」が育つという定理は成立しない。
一方で、吾輩が心底「強い心の持ち主」だと感銘を受けたのは、太平洋戦争終結後、日本が敗戦したことを知らずに二十九年間もフィリピンのジャングルで一人生き延びた小野田少尉だ。いつか彼に「折れない、くじけない、強い心」の育て方を尋ねてみたいものだ。
そして、吾輩は思うのだが、犬でも時々飼い主から叱責を受ける。
吾輩も幼い時は、家の中で粗相をするとか家具のソファーをかじって叱られた。叱られれば、犬だって悲しい気持ちになり、しっぽを垂れてしょんぼりする。吾輩は、叱られた時は、部屋の片隅で大人しく昼寝をして、目が覚めたら、家族のご機嫌を伺いに近寄ってみる。だいたい、数時間すれば、人間の怒りも収まるものだ。
吾輩も叱られた内容を学習して、次回から過ちを正せば家族から褒められる。人犬関係の修復は図られるのである。
しかし、もし飼い主の家族の怒りが収まらずに毎日叱責と虐待が続けば、吾輩は恐らく隙を見て飼い主の家を逃げ出すだろう。反省し、改善すべき時は改善しなければならないが、飼い主のイライラの捌口として扱われたら逃げ出さなければならない。自殺するなんて冗談じゃない。
読者諸氏だって、犬や猫が自殺したなんて聞いたことがないと思う。人間は、犬よりも賢いはずだし、自由自在に行動ができるのだから、自殺するとか家に引きこもるのではなく、もっと知恵を働かせばいいのにと思う。
人間も叱責されてしょんぼりした時は、友人に話したり、家族に話したり、音楽を聴いたり、テレビ番組のコントで笑ったり、美味しいものを食べたり、ジョギングをしたり、成人なら酒を飲んだりと様々な方法がある。それでも解決できない場合は、最終手段として退職して転職することや自分で起業するという方法だってある。何も自殺するとか家に引きこもる必要はあるまい。