ふる里と云えば、東京の家を戦火で失い、私の一家は小樽に移り住んでいたのです。いわば第二のふる里ですが、小樽の駅は、まっすぐの一本の道で海に出るのでした。
父は大好きな釣りを60歳でピタリとやめました。その気持が、私も、この年に至って、よく分る気がします。
四月二十三日
小川に映ったお空の色が
はらりめくれて舞い上り
お空の色の空色の
きれいな蝶になりました。
ふる里と云えば、東京の家を戦火で失い、私の一家は小樽に移り住んでいたのです。いわば第二のふる里ですが、小樽の駅は、まっすぐの一本の道で海に出るのでした。
父は大好きな釣りを60歳でピタリとやめました。その気持が、私も、この年に至って、よく分る気がします。
四月二十三日
小川に映ったお空の色が
はらりめくれて舞い上り
お空の色の空色の
きれいな蝶になりました。