午後からは子供達と近所で海水浴をした。貴子さんは日傘の下で、健一さんは所用があるからと来なかった。なぜか私はほっとした。能登の海の色は東京のと違うのね、と思いながら私は雄二のことを思った。帰りはファミレスに寄って早めの夕飯を済ました。
「ファミレスでも子供達には極楽なのよね。ちょっと刺激があるのよ」と言うお母さんを無視して、子供達は食べるのに忙しい。私はまずいコーヒーだなあと思った。
鼻の頭が昔のように、日焼けでヒリヒリしている。携帯が鳴った。雄二だった。
「え!? お父さんが?」
なんと、彼の父親が、船で転んで頭を強く打ち意識不明だということだ。帰って来なくていいと言われたが、母と祖父母、母の兄のお墓参りだけして翌日そそくさと私は帰京した。
雄二さんのお父さんは脳外科で手術をすることになった。その後はどういう障害が起こるかは不明とのことだ。幸い健康な人で、手術には耐えられるだろうということだ。船が突然揺れ、転んでしまったようで、打ち所が悪かったとはこういうことだろうと思う。
雄二は廊下を行ったり来たりしている。お母様と姉妹は元気がない。私は駅から直行して手術には間に合った。
5時間はかかる大手術で、意識は未だ不明だ。人生何が起こるかわからんよ。卵の殻などは小さな問題に見える。本当お互い元気だというだけでそれだけでいいのだと、私も泣きたくなってきた。母が亡くなった時のことが蘇る。神様はいるのか? とあの時も私は思った。
夏の夕暮れ、ツクツクホーシが鳴いているのが聞こえる。手術は無事終わった。意識はまだ回復していない。彼らを夜遅く家に送り届けて、私はやっとアパートに戻った。生暖かい部屋の窓を開け空を見たら、星一つ見えなかった。ニャンがそっと側に寄ってきた。
お父さんの意識は2日目に戻った。右側が麻痺していて、言葉がきちんと喋れない。医者はリハビリで回復すると保証してくれた。心なしか雄二とお母様達は元気になっている。なにはともあれ命は助かった。